2017.10.24 山中地溝帯と海8 中央構造線5
「関東平野中央部での深さ3000mに達するボーリング調査によって、埼玉県岩槻市のやや南方を通っていることが確かめられた」ということについて、何がどう確認されたのか調べてみたら、↓の記事が見つかりました(^o^)。
調査をしたのは埼玉県岩槻市の地下3500mから採取したボーリング試料で、中央構造線のごく近傍(およそ500m以内)で変形した特殊な岩石(マイロナイト)が見つかったため、関東平野の地下深部の中央構造線の位置を特定できたということなのですが・・・・・・???
マイロナイト(Mylonite)とは、
断層運動に伴って断層近傍の岩石は変形するが、地表と地下深部では温度および圧力が大きく異なるため、様々な断層岩(断層運動により変形した岩石)が形成される。これら断層運動により形成された断層岩のうち、マイロナイトは、温度が約300℃以上に達する地下約10km以上の深部での断層運動により剪断変形を受けた岩石で、一種の変成岩である。
だそうです。でもこれからは、岩槻市の地下3500mの近傍にはマイロナイトを生じさせた断層があるということは分かりますが、「その断層は中央構造線である」と特定することはできないのではないかと私は思うのですが、なぜその断層が中央構造線だと特定できたのでしょうね???
またここには、
岩槻の東方の柏や成田周辺においては、温泉ボーリング等により地下深部に三波川帯の変成岩が存在することが報告されており、中央構造線がそれらの北側に続くと推定される
とも記されています。それなら三波川帯は長瀞・比企丘陵から柏・成田と東南東~東に続き、領家帯は筑波山~真壁~加波山~稲田と北東に続いているのですから、中央構造線はその間を通っているということになりますよね。やはり岩槻の断層は中央構造線ではないようです(^o^)。
このブログを始めた頃、タケミナカタは出雲から諏訪までどうやって行ったのだろう?と考えながら地図を見ていて、諏訪湖を頂点として日本海と太平洋まで谷が続いていること、その谷は糸魚川―静岡構造線に沿っていることに気が付き、地質が連続していない断層部分は水で削られやすいのではないか、諏訪湖から日本海と太平洋に流れ出した水がその谷を作ったのではないか、と考えました(^o^)。このことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第7章の6「古代の諏訪湖」をご参照ください。
関東平野は平地で高度差がありませんから、水が深い谷を作ることはなかったと思いますが、やはり古毛野川も削れやすい断層部分に沿って流れていたのではないかと考えると、中央構造線は筑波山と柏・成田の間を流れる現在の利根川の近辺を通っているのではないかと私は思うのですが。
今回検討を行った岩石試料は、首都圏の地震防災を目的として1971年に国立防災科学技術センター(現防災科学技術研究所)が行った岩槻深層地殻活動観測井のボーリングで、深度3510mまで掘削された際に採取された基盤岩だそうで、地表から深度2864mまでの堆積層の下にある基盤岩だそうです。広大な関東平野は3000mもの厚さの堆積層でできていたのですね。
ボーリングした地点がどこかは分かりませんが、岩槻も縄文時代には、台地の部分は島で、平地(水田地帯)は海だったのです(^o^)。
その頃の貝塚の一つのさいたま市岩槻区城南3丁目の真福寺貝塚
これまで岩槻の基盤岩については、中央構造線の南側に分布する三波川帯に属するものと考えられていたのだそうですが、やはり岩槻の基盤岩は、三波川帯またはその外側の秩父帯に属するものであろうと私は思います。私は地質学者ではありませんしボーリング調査をしたこともありませんから、これは「古代史探偵・推古」としての推理ですけれど(^_-)。