Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

山中地溝帯と海4 中央構造線

$
0
0

2007.10.20 山中地溝帯と海4 中央構造線

 

『常陸国風土記』の地形の記述への疑問から始まって、地名や古い伝承などから推理してきたここまでの地形の変化は、プレートテクトニクスと中央構造線を知ったことで、科学的にも裏付けられてきました\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。

 

2015年に大鹿村の中央構造線博物館で初めて知った中央構造線は、九州~四国~長野~群馬~茨城~千葉と日本列島を東西に縦断する大断層であり、

 
イメージ 1

 
イメージ 2

 

この時初めて聞いたこの構造線の南側の「三波川帯」の三波川とは群馬県を流れる三波川のことであり、「秩父帯」とは埼玉県の秩父のことだったのです。


イメージ 3

緑の部分が三波川帯、黄色の部分が秩父帯
 

三波石峡

 
イメージ 4

 
イメージ 5

 

この時に中央構造線と埼玉・群馬のジオパークの関係を知ってから、俄然ジオパークに興味が出てきて、この2年間たびたび出没していたわけですが(^o^)、地形と人間の歴史は深く結びついていますから、行ってみて分かることや腑に落ちることって本当に多いのですよね(^o^)

 

埼玉と群馬のジオパークで、中央構造線にはすっかり親しみを感じるようになってしまい(^o^)2016年に千葉県立中央博物館で↓の図を見た時には、思いがけない所でばったり旧友にあったように嬉しくなってしまったほどです(^o^)

 
イメージ 6

右の尖った所が銚子、薄青が三波川帯、薄紫が秩父帯

海からはるかに遠い内陸に貝塚や遺跡があることや、内陸の海のない県に島・塩・海などの付いた地名がたくさんあることなどから、旧石器時代~弥生時代には平野部は海だったのではないか?と考え始めたのですが、その内陸からクジラや巨大ザメの化石なども出土していたのであれば、そこが浅い海だったはずはありませんよね<(_ _)>
 

なぜ内陸部にクジラや巨大ザメが泳ぐような深い海があったのかという謎は、海進・海退による海面の上下だけでは解けなかったのですが、その謎を解くヒントになったのが、地球の歴史とプレートテクトニクスだったのです\(^o^)/。

 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389