2017.10.13 新海三社神社8 諏訪神社と薙鎌
『守矢史料館のしおり』には、御神体の薙鎌について↓のようなことが記されていました。
御柱年の前年に姫川沿いの信濃と越後国境方面と北安曇郡各地の諏訪神社には薙鎌が配布されている。ことに北小谷村中土諏訪神社には宮司が赴いて例祭に合わせて「薙鎌祭」を行って薙鎌を奉納し、翌日、宮司一行は糸魚川市まで下ってから逆行して信越国境の戸土(とど)諏訪神社で杉の大木に「薙鎌打ちの神事」を行う。
2016年にフォッサマグナと塩の道を辿ってみようと考えた時、この道沿いには諏訪神社がたくさんあることが分かったので、2泊3日の行程の中で可能な限りそれらの諏訪神社を訪ねてみようと思ったのですが、実はこの時、私は「塩の道」とは千国街道(国道148号線)のことだと思っていたのですよね<(_ _)>。
ところが実際に行ってみたら、国道148号線は明治になってから作られた新しい道で、諏訪神社のある本当の「塩の道」は山道で短時間では行けないことが分かって諦めたのですが<(__)>、この中土諏訪神社にはなんとか行ってみることができました。集落の中ではなく少し奥のひとけのない場所にあったこの神社には「中土諏訪神社」ではなく、「大宮諏訪神社」と記されていました。
長野県には諏訪神社が1219社もあるそうですが、ここは、かつては多くの諏訪神社のうちでもわざわざ本社から宮司さんが出向いてくる「大宮」だったようです(^o^)。
戸土へは行けませんでしたが、戸土の「境の宮」はこの時↓の記事で推理したように、やはり諏訪神社だったのですね。宮司さん一行がわざわざやってくる中土諏訪神社が総社で「大宮諏訪神社」だったように、戸土の諏訪神社も総社で「大宮」だったのかもしれません(^o^)。
このしおりによれば中土諏訪神社の杉の大木の幹には、御柱前年に打ち込まれた何枚もの薙鎌が幹の中にのみこまれて現存しているのだそうですが、見落としてしまったので、写真のどれかに写っていないかな?と探してみたのですが、残念ながらそれもありませんでした(T_T)。「村宝 古代薙鎌」という表示だけは見たのですが。
杉の木に↓のように打ち込まれた薙鎌は、木が太るにつれてだんだん木の中に取り込まれていくのでしょうね。