2017.10.12 新海三社神社7 御神体
新海三社神社の御神体は鏡ではなく薙鎌だったのかな?と考えているうちに、なぜ多くの神社の御神体は鏡なのだろう?と疑問が湧いてきたので調べてみました(^_^.)。
これは、明治28年に法令で「御神体は白銅円鏡で、天神地祇と天皇は径一尺(約30cm)、その他の神は七寸(約21cm)、背面に神名を刻み、つまみに紅紐をつけ、金襴の袋に納めて柳箱に入れる。それを白平絹の入帷(いれかたびら)に包んで、さらに檜白木造の辛櫃に納める。」と定められたのだそうです。
でも、いったい誰に「御神体」を決めたりする権利があるのでしょうね?30cmや21cmの規格品の鏡にいったいどんな根拠があるのでしょう?
こんな法令を作ったのは明治政府の神祇官たちだったのではないかと思うのですが、御神体を一律に鏡にさせてその大きさまで決めたのは、神社に序列を付け、全ての神社(カミサマ)を自分たちの支配下に置きたいということだったのではないでしょうか。
これから新しく神社や御神体を作るのであればともかく、長い間大切に祀って来た御神体をこんな何の根拠もない法令一本で捨てて工業製品の鏡と取り替えるなどということは心情的にもとてもできませんよね<(_ _)>。少なくとも諏訪大社とその分社の御神体は今でも鏡ではないようです。
「明治政府の神祇官」という人たちは、廃仏毀釈で寺院や仏像を壊しまくったり、ウソ八百の『記紀』を元に「国家神道」をデッチ上げたり、架空の天皇の古墳を捏造したり、江戸時代までは男神として祀られていたアマテラスを最高神の女神に仕立てたり、虚偽の「国家神道」にとっては不都合な事実を一子相伝で伝えてきた諏訪の神長官の世襲を廃止させたりと、いろいろ信じられないほど横暴なことをしていたようですね<(_ _)>。
祝詞とは、そもそもは祖廟に祀った祖先の徳を讃えるために子孫が祖先に向かって奏上するものだったようです。
けれど今は、神社本庁から任命された祭神とは何の関係もない人が赴任して来て神主になるのですから、祝詞は先祖の徳を讃えるために奏上するものではなくなっているようです。
祝詞っていったい何を言っているのだろう?と検索してみたら、音声付の「おすすめ祝詞集」が見つかりました(^o^)。
私は「般若心経」はお経だと思っていたのですが、↓を見るとこれも祝詞の一つになっているようですね。
新海三社神社で神主さんが奏上していたのは↓の祓詞だったようです。
掛まくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊祓へ給ひし時に成り座せる祓戸の大神等
諸々の禍事 罪 穢有らむをば
祓へ給ひ 清め給へと白す事を
聞食せと 恐み恐みも白す
初めて何を言っていたのかが分かりましたが、やはり先祖の徳を讃えていたのではなく、『古事記』が創りだした架空のカミサマに「ああしてください、こうしてください」とお願いしていたのですね。
ネコビタイ便り
アボカドってとても発芽率がいいようです。先月2個播いて忘れていたのですが、2個ともしっかり芽を出していました(^o^)。