2017.10.11 新海三社神社6 御神体の御射山社御神幸
御神体を抱えた神主さんが、氏子さんたちを従えて石段を下りて行ったので、この後どうするのですか?と近くにいた氏子さんにお聞きすると、あそこの「お休み石」で一休みした後、ここから1kmほど離れた所にある御射山社まで行列して行くのだということだったのですが、ここの神様は輿(お神輿)に乗らずに歩いて行くようです。佐久を開拓したオキハギノミコトはいばりくさった支配者ではなく、住民と共に開拓に励んだ人だったのかもしれませんね(^o^)。鳴り物も掛け声もない静かな出発でした。
お休み石
御射山社というと、タケミナカタが諏訪にやってくる以前の諏訪の支配者だった「ミシャグチ様(洩矢神?)」が祀られているのでしょうか?諏訪大社の神長官・守矢氏が今日まで78代に渡って大切に祀って来たのは、タケミナカタではなく守矢氏の祖先である「ミシャグチ様」であり、諏訪は征服されたのではなく、タケミナカタと共に「諏訪祭政一致体」の体制をとるようになったと神長官家には伝えられています。
神長官家に祀られているミシャグチ様
ミシャグチ様の「ミシャ」というのは御射山の「御射」で、オキハギノミコトは「ミシャグチ様」に挨拶に行くのかな?と思って氏子さんに諏訪大社との関係をお聞きしてみたら、「いや、諏訪大社とは関係ない」とのお返事だったのですが<(_ _)>、オキハギノミコトは諏訪大社の祭神のタケミナカタの息子なのですし、行列にはナギガマも加わっていましたから、諏訪大社とは深い関係があるはずだと私は思うのですが。
新海三社神社の御射山御神幸のナギガマ
諏訪大社のナギガマ
神主さんが抱えていた御神体は鏡にしては大きいようだったので、「御神体は鏡なのですか?」と氏子さんにお聞きしてみたら、「なんだかは分からない。誰も見たことがないんだ」というお返事でした(^o^)。
神主さんに抱えられた御神体
氏子さんが捧げ持っていたナギガマは、諏訪大社のナギガマと同じなのではないかと思って帰ってから『守矢史料館のしおり』を確かめてみたら、このしおりには「現在、諏訪神社の御分社の場合、薙鎌を御神体としてお分けしている」と記されていました。
新海三社神社はタケミナカタの息子のオキハギを祀る神社ですから、諏訪神社の分社ではありませんが、中本社・西本社には父のタケミナカタと伯父のコトシロヌシが祀られていますから、この新海三社神社の御神体は「薙鎌」なのかもしれませんね(^o^)。
ところで今テレビをつけたら、鹿島神宮がクレジットカードを発行した」という話題をやっていました(^o^)。この鹿島神宮の祭神のタケミカヅチは、『古事記』では大国主の国譲りの際に諏訪大社の祭神のタケミナカタと戦って、タケミナカタの腕をもぎ取ったというオハナシになっているのですよね。
ちなみに、カードのポイントは自動的に全て鹿島神宮に寄付されるのだそうです(^o^)。