2017.10.14 新海三社神社9 タケミナカタの子孫達
新海三社神社の祭神のオキハギノミコトは、諏訪のタケミナカタの12番目の子で佐久を開拓して稲作を広めた実在の人だったことが分かったのですが、その後、池生神社の祭神の池生命もタケミナカタの4番目の子で、八ヶ岳南麓の富士見町から北杜市の辺りを開拓した実在の人だったことが分かってきました(^o^)。
池生命を祀る長野県諏訪郡富士見町境池袋の池生神社
池生命も実在の人で、八ヶ岳南麓の富士見町から北杜市の辺りの開拓をしたようです(^o^)。
そこで他の子達についても調べてみたところ、若宮社に祀られていたタケミナカタの13人の子のうちの11人が信濃の各地でそれぞれ「開拓の神」として祀られていることが分かったので、それでは信濃に諏訪神社がたくさんあるのは、タケミナカタの子孫たちが信濃全域に散っていって開拓をし、それぞれの地にタケミナカタを祀る「祖廟」を造ったからではないか?と推理したのですが、
その後、タケミナカタには若宮社の13人の他にも多くの子がいたことや、新潟や関東にもたくさんの諏訪神社があることから、タケミナカタの子孫たちは新潟や関東にも進出して行って、当時はまだ海が退いた後の未開拓の地だった新潟や関東の湿地や葦原の開拓もしていたのではないかと考えました(^o^)。
例えば水戸市の大洗神社は「諏訪神社」という名前ではありませんが、祭神として祀られているのは「大己貴(オオナムチ)神」すなわち大国主ですから大国主の子孫は常陸国にもやって来ていたことが分かりますし、それが実在の人であって地元の国津神と姻戚関係を結んでいたことを示すと思われる伝承やお祭りが今も残されています(^o^)。
埼玉県にも諏訪神社が多いようなので調べてみたら73社もありました。
ところが新潟には、なんと関東よりも長野よりも多い1658社の諏訪神社があるのだそうです(^o^)。
タケミナカタの正妻は諏訪大社に祀られている「八坂刀売(やさかとめ)」だったようですが、オキハギの母は、八坂刀売ではなく上野(かみつけ)の貫前の姫神ですし、諏訪市大和にある先宮神社にもその地の高照姫がタケミナカタの妾にされた(?)というような伝承が伝わっていますから、タケミナカタには妻も子もたくさんいたようです(^o^)。
そして、その大勢の子達もまたたくさんの妻や子を持ったのでしょうから、大国主の一族はどんどん広がっていったのでしょうね(^o^)。