2017.10.8 新海三社神社3 田口峠
険しい山道で自転車に乗った人とすれ違ったので私は驚いたのですが、田口峠は自転車愛好家の間では有名なようで、ここを自転車で走る人はたくさんいたのですね(^o^)。私は田口峠を知らずに行ったので、広川原の住人のいなくなった集落と洞穴について調べてみようとしたら、自転車で行った方たちの記事がたくさんありました(^o^)。
↓は自転車で私たちとは逆に佐久から南牧に向かった方の記事です。
私たちは車だったので気付かずに通り過ぎてしまいましたが<(_ _)>、途中には「日本一海から遠い場所」への案内表示があったようです。日本一海から遠いのは新海三社神社ではなく、田口峠付近だったのですね。
この方たちは、広川原集落から洞穴と地下湖を見に行っていて、↑の記事にはその写真もありました。写真には集落の人は写っていませんが、周辺はきれいに手入れされているようですし、廃屋のことやここが無人の集落だったとは記されていませんでしたから、この時の広川原集落は人が住んでいる普通の集落だったのでしょうね。
いつ頃の記事なのだろうと確かめてみたら、2009年7月となっていましたから、私たちが竜岡城址や新海三社神社に行った2か月前の記事でした。この時の私たちは、オキハギノミコトのことも、93号線のことも全く知らなかったので、新海三社神社の由緒を見て、「オキハギノミコトがタケミナカタノミコトの息子だというのは本当なのだろうか?」とそれを確かめにここから諏訪大社と守矢史料館に向かってしまったのですが(^o^)。
広川原集落が無人の集落になったのは2009年以降のことのなのでしょうね。
自転車の方は、みな佐久から南牧に向かっているようですが、群馬側からは傾斜がきつくて距離も長いからでしょうか(^o^)。南牧から佐久へと同じコースを辿った方の記事もありましたが、この方はバイクだったのかな?写真を撮るために頻繁に道に車を止めることはなかなかできませんから。
途中の集落 軒のあるベランダのような造りが特徴的で、広川原の集落の家々もみなこのような造りになっていました。