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「塙」って?100 武蔵野台地の端(はな)89 荏原台

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2017.9.13 「塙」って?100 武蔵野台地の端(はな)89 荏原台
 
多摩川は、学者さんたちの言うように府中の辺りで川幅が2kmもあった川だったはずはないと私は思うのですが(^_-)地形はたいてい川が作った河岸段丘であるという考え方で説明されているのですよね<(_ _)>
 
例えば武蔵野台地は、学者さんたちによって「古多摩川が形成した東西50km,南北30kmに及ぶ広大な扇状地で、この台地のほとんどは多摩川の浸食によって作られた武蔵野面に相当する。」と説明されています。

イメージ 1

 
でも、山間の谷を流れてきた多摩川の川幅が、府中付近で急に2kmに広がるはずはありませんし、もし本当に2kmに広がっていたとしても、幅2kmの川が東西50km,南北30kmに及ぶという広大な扇状地を作れたはずはないと私は思うのですが。
 
野毛古墳群と多摩川台古墳群があるのは荏原台なのですが、「世田谷の地形と遺跡」には、この荏原台について「武蔵野面の東端にはこれより古い海成の高位段丘2カ所島状に残されている。淀橋台と荏原台で、いずれも下末吉面に相当する。」と記されています。
 
イメージ 2

 
色の濃い所が「海成の高位段丘」の荏原台と淀橋台なのですが、でも、この「海成」というのは海の底でできた地層だという意味ですよね?それなら、この淀橋台と荏原台が海底でできた頃、それより低い所はみな海の底だったはずですから、海の底でできた淀橋台と荏原台の地層が海面に現れた頃には多摩川はまだ無かったということになりますよね(^o^)
 
「世田谷の地形はこの下末吉面を最古として、以下武蔵野面・立川面・沖積地の順に形成された。この4つの地形面は、古多摩川によって形成された河岸段丘である」と記されているのですが、淀橋台と荏原台は海の底でできたのですから古多摩川によって形成されたのではありませんし、それより低い所にある武蔵野面・立川面・沖積地はまだ海の底で多摩川はなかったのですから、多摩川によって形成された河岸段丘であるはずがないと思うのですが・・・・
 
私はこの説明には全く納得することができなかったのですが<(_ _)>、どの資料にも同じようなことが書いてありますから、この「説」を作った学者さんも、それをそのまま引用している学者さんたちも、これを元に歴史解釈をしている学者さんたちも、みなこの説明で納得しているということなのでしょうね。またもや↓のセリフの出番のようです
 
「だから、僕は歴史家には呆れ返るのさ。彼らときたら、一つの事態の納得性ということに関して何にも考えてみようとしないらしい。」(ジョセフィン・テイ著『時の娘』より)
 
 
 
ネコビタイ便り
 
道にヤマボウシの赤い実がたくさん落ちています。赤と白のヒガンバナは一斉に花を開いてしまい、タマスダレの白い花も咲いています。秋が来てしまったのですね。
 
イメージ 3

ミョウガの茎が伸びたと思ったら、小さな白い花をたくさん付け、いつのまにか実になっていました。私は根元の食べる部分に咲く花しか見たことがなかったのですが、茎の先にも花が咲くのですね!ミョウガにも実が付くことを今まで知らなかったのでビックリです(^o^)
 
イメージ 4

花は二種類あるのだろうか?と調べてみたのですが、茎の先に咲く花についての説明が見つかりません<(_ _)>。そこで『牧野植物大図鑑』を引っ張り出してみたのですが、やはりこちらの花については図も説明もなく「たまに液果を結ぶことがある」と記されているだけでした。
 
今年の天候不順のせいで、この「たまに」に遭遇したということでしょうか(^o^)。でも花の画像はたくさんありましたから、そう珍しいことでもなさそうなのですが?
 
 

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