2017.9.8 「塙」って?95 武蔵野台地の端(はな)84 荏原台古墳群5
亀甲山古墳や野毛大塚古墳があるのは、荏原台と呼ばれる高台の端(はな)なので、荏原台古墳群と総称されているそうですが、この荏原台古墳群は大きく世田谷区側の野毛古墳群と大田区側の多摩川台古墳群の二つに分けられるそうです。
この多摩川台古墳群の5世紀初頭以前の古墳と、野毛古墳群の5世紀初頭以降の古墳では、古墳の形や規格に明らかな違いがありますから、多摩川台古墳群の5世紀初頭以前の前方後円墳は大国主の傘下に入っていた国津族の王族の墓で、5世紀初頭以降の帆立貝型古墳は征服者の天津族の王族のものであろうと思います。
この野毛側にある帆立貝型の野毛大塚古墳の墳頂には↓のように埋葬品の位置が図示してあったのですが、
ここに描かれていた石棺のレプリカが先日行った世田谷区郷土資料館に展示されていたので、「これが2010年に見た↑の図の石棺なのか」と感慨深く眺めていたら、たまたま近くにいた知らない男の人に「それはウチの石棺だよ。それを掘る時自分も参加していたんだ」と話しかけられました(^o^)。
「ウワッ、ラッキー!」と思って、詳しく聞かせてもらおうといくつかの質問をしたら、答えてくれずに逃げるように(?)行ってしまったのですが<(_ _)>、あれは冗談だったのでしょうか?それとも本当に現在は「玉川野毛町公園」になっている古墳のある土地の持ち主だったのでしょうか??
その男の人が「ウチの石棺だ」と言った時、「それではお名前は野毛さんですか?」と聞いたら「いや、私は大塚だ」と言っていたのですが、この古墳は大きな塚だったから「大塚」なのではなく、野毛の大塚さんの土地にあったから「野毛大塚古墳」になったのかな?それとも大きな塚の傍に住んでいたから先祖が「大塚」を姓にしたのかな??
この古墳の副葬品は世田谷区郷土資料館ではなく、東京国立博物館に収蔵されているのだそうですが、調査の結果、野毛大塚古墳はその特殊な墳形や出土品の多くの特長などから古市・百舌鳥古墳群などの畿内王権との関わりが深いことが分かったのだそうです。
この古墳は学者さんたちの言う「地方の豪族の墓」ではなく、4世紀末~5世紀初め頃に東征軍として大阪から武蔵にやって来た天津族の王族の墓のようですから、畿内王権との関わりが深いのは当然でしょう(^o^)。東征軍の総大将は、崇神天皇の息子のトヨキイリヒコだったのですし、王族以外の人に巨大な墓が造られたはずはないのですから。
つまり、5世紀以前に多摩川台に箸墓古墳の三分の一の前方後円墳を造り三角縁神獣鏡を副葬していたのは、奈良(葦原中国)の王権(大国主)との係わりが深かった国津族の王族であり、5世紀以降に野毛に帆立貝型の古墳を造ったのは大阪の天津族の王権(崇神王朝)の王族だったということであろうと思います。
それでは、形も規模も築造時期も記されていなかった尾山台の宇佐神社裏の「八幡塚古墳」も帆立貝型古墳なのでしょうね。等々力にある御岳山古墳も帆立貝型であることが分かっているのですし。
御岳山古墳
この時、古墳の後ろ側にも回ってみたのですが、形は分かりませんでした<(_ _)>
ところで、今日もメキシコ沖でM8.2という大きな地震があったそうです。史上最大の勢力のハリケーンも立て続けにアメリカを襲っていますし、台風13・15号は中国や日本に大きな被害を出しました。昨日は通常の1000倍という太陽フレアが観測されたことが報道されていましたが、宇宙からの電子を帯びた粒子やX線から地球を守っていた磁場は200年前から弱まり続けているのですよね<(_ _)>。
やはり、最近の「天変地異」は磁場の逆転が関係しているのではないでしょうか。