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「塙」って?92 武蔵野台地の端(はな)81 荏原台古墳群2

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2017.9.5 「塙」って?92 武蔵野台地の端(はな)81 荏原台古墳群2
 
4世紀末~5世紀初めの天津族の東征以前に大国主の傘下に入っていた国津族の王たちは、大国主の箸墓古墳が造られて以降、形は箸墓古墳に倣った前方後円墳で、箸墓古墳の三分の一ほどの大きさで墓を造っていたようです。
 
箸墓古墳以降に一斉に同じような前方後円墳が造られるようになったのは、毎年神無月に各小国の王達が大国主の都に集まって合議をする大国主体制が調って、集まって来た各国の王達が墓の作り方(規格)を自国に持ち帰ったからで、その時期の前方後円墳からたくさん出土する三角縁神獣鏡は、歴代の大国主がその王達に配った物であろうと思います。これまでに出土している三角縁神獣鏡は卑弥呼が貰ったという100面をはるかに超えていますし、卑弥呼には自分が貰った鏡を全国の王達に配る理由も配る方法もなかったでしょうから(^_-)
 
三角縁神獣鏡は、北は福島県会津若松市の会津大塚山古墳から、関東、東海、中部、北陸、近畿、中国、四国、北九州にまで及ぶ古墳時代前期の前方後円墳から出土しているのです。
 
例えば、京都の椿井大塚山古墳からは32面以上の鏡が出土したそうですが、三面を除いて全て三角縁神獣鏡だったそうで、川崎市の夢見ヶ崎の白山古墳・山口県の竹島御家老屋敷古墳・福岡県の上倉(かんのくら)古墳からは同笵鏡が出土しているそうですし(^o^)奈良県天理市柳本町にある古墳時代前期(3世紀末頃)の前方後円墳・黒塚古墳からは、椿井大塚山古墳より多い33面の三角縁神獣鏡が出土していますしね。
 
椿井大塚山古墳
 
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ここには「3世紀後半の邪馬台国の時代の古墳です」と書いてありますが、正確には大国主の時代の古墳です(^o^)。時代は重なってはいるのですが、邪馬台国は北九州ですし、270年頃には天津族に滅ぼされてしまったのですから。学者さんたちは、纏向は卑弥呼の都で箸墓古墳は卑弥呼の墓であるとしているようですが、纏向は大国主の葦原中国(あしはらのなかつくに)の都であり、古墳時代前期の前方後円墳の基準となった箸墓古墳は大国主の墓なのです。
 
そのことに関する推理は「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第2章「卑弥呼の時代の中国と朝鮮半島から邪馬台国を推理する」及び第11章「葦原中国を推理する」をご参照ください。 
 
2015年に黒塚古墳の展示館に行った時には、郷土愛に溢れるボランティアさんたちが、椿井大塚山よりウチの方が鏡の数が多いのだと口々に自慢していましたっけ(^o^)
 
黒塚古墳


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黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出土状況の復元

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