2015.9.26 「本諏訪社」だった鹿塩村の葦原神社
大鹿村に興味を持って調べてみたのは、山里なのに塩がとれたということからでしたが、行ってみたいと思った動機は実は塩が欲しかったからではなく、調べているうちにこの村にはタケミナカタの伝承とタケミナカタを祀る神社があり、現在は葦原神社となっている神社は明治までは「本諏訪社」と呼ばれていたということが分かったからなのです。
この神社は、明治末期の神社合併で「葦原神社」と名称が変わりましたが、もともとは本諏訪社と呼ばれていた神社で、諏訪大社の祭神である建御名方神が建御雷神との力くらべに負けて出雲から洲羽(諏訪)に逃げる際に一時的に滞在していたと伝わっていたそうです。
都で書かれた『古事記』など知るはずもなかった古代の鹿塩の村人たちが、縁もゆかりもないタケミナカタを祀る神社など造ったはずはありませんから、タケミナカタがこの村にいたという伝承があり、タケミナカタを祀る神社が造られていたということは、実際にタケミナカタがこの地に来ていて、タケミナカタを祖として祖廟に祀る人々がこの地に住んでいたということだろうと考えたのです。
また鹿塩には、この塩泉は建御名方神が鹿狩りをしているときに発見したという伝説があり、諏訪大社の御頭祭での最上位の席は鹿塩だったそうですから、諏訪大社と鹿塩の「本諏訪社(葦原神社)」にはとても深い関係があったようです。
諏訪大社の御頭祭では、毎年72頭の鹿の首が神前に供えられていたそうですが、草食動物には塩は欠かせないものですから、この塩泉の近くで待っていれば効率よく鹿を獲ることができたのではないでしょうか(^o^)。毎年御頭祭に備えるたくさんの鹿を調達していたのは鹿塩村だったのかもしれませんね(^o^)。
守矢史料館に展示されている御頭祭を復元した鹿の首
耳裂け鹿
塩泉があるため、この村には牧が作られ、馬が育てられていたそうです。高血圧などの塩分の摂り過ぎによる弊害ばかりが話題になりますが、人間も塩が不足すると昏睡状態になったり死亡することがあり、草食動物にとっても人間にとっても塩は欠かせないものだったのです。
熱中症で痙攣を起こしたり死に至ったりするのも、汗と共に塩が体外に出てしまうことが原因の一つのようです。このところ夏の異常な暑さのために熱中症で死亡する人が増えて、水分だけではなくスポーツドリンクや塩飴など塩分の摂取が勧められるようになったのはそのためなのです。
そういうわけで、葦原神社へはぜひ行ってみたかったのですが、残念ながらここには辿りつくことができませんでした<(__)>。観光案内所で道を聞いて向かったのですが、それらしいものも案内も見つからず、誰かに聞いてみようにも全く人もいなくて時間も無くなってきてしまったので、ここはあきらめることにしました(T_T)。