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「塙」って?86 武蔵野台地の端(はな)75 照善寺

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2017.8.29 「塙」って?86 武蔵野台地の端(はな)75 照善寺

 

奥沢の八幡神社の近くには浄真寺(奥沢城跡)があり、宇佐神社の近くには傳乗寺があったように、この田園調布八幡神社の近くにも照善寺があって、神社の境内の横からその墓地の塀が見えたので、そこが吉良氏の出城の跡なのではないかと考えて行ってみたのですが、墓地の塀に沿って国分寺崖線のとても傾斜のきつい坂を丸子川まで下りて川を渡らないとお寺への方へは行けませんでした<(_ _)>

 

坂を下りきって川を渡り、道から川越しに眺めてみたのですが、出城の跡ではないか?と思って見たせいか(^o^)、いかにも城跡と濠のように見えてしまいました。

 
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地図を見ると、照善寺の東に「西岡31号墳」と記されています。するとここも宇佐八幡と同じように、その古墳の被葬者の宮があった所に中世に吉良氏の出城が造られて、その跡地に江戸時代に照善寺が造られたのかもしれませんね。 

 

ところでこの丸子川はとても人工的でまるで濠のように見えたので、昔からあった自然の川なのだろうか?と疑問に思って調べてみると、この川は多摩川を水源として現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る六郷用水(次大夫堀)で、1597年から14年かけて開削された農業用水の下流部なのだそうで、今は野川に合流している仙川もかつてはこの六郷用水に合流していたのだそうです。

 

宅地化が進んだためこの農業用水は1945年に廃止されて、大半は1970年代までに埋め立てられたか雨水用の下水道となり「幻の六郷用水」になってしまったそうですが、世田谷区岡本~大田区田園調布に残った部分を整備して「丸子川」と呼んでいるのだそうです。それでは、中世にはこの川(用水路)はまだなかったわけですね(^o^)。現在、この用水の跡地は道路、緑道(遊歩道)、次大夫堀公園、丸子川などになっているそうです。

 

この田園調布八幡の建っている台地の端の崖は国分寺崖線で、古代~中世にはこの崖の麓近くまで海だったのですから、その頃は現在多摩川に合流している川はみな、直接その海に流れ込んでいたのでしょうね(^o^)

 

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