2017.8.27 「塙」って?84 武蔵野台地の端(はな)73 尾山台宇佐神社2
少し間が空いてしまいましたが、8.23の続きです。
武蔵野台地の端(はな)のこの辺りはかなり起伏の激しい急斜面だったようで、周辺は結構な傾斜の坂道だらけでした。近くには東京23区内で唯一の渓谷である「等々力渓谷」もありますしね(^o^)。
八幡塚古墳があったのは標高25mほどの台地の端(はな)の上で、その一段下の20mの所に宇佐神社、さらに一段下の16mの所に傳乗寺がありました。傳乗寺の山号は「松高山」となっていましたから、この台地の端(はな)は「尾山」ではなく「松高山」で、「尾山」は谷の向こうの標高40mの台地の端(はな)の名前だったのかもしれません(^o^)。
宇佐神社境内と社殿より一段高い所にある古墳(右手の木立)
宇佐神社境内の南の一段低い所にある傳乗寺
それでは、この傳乗寺が八幡塚古墳の被葬者の宮があった所で、その跡地に中世に吉良氏の出城が置かれ、そこに奥沢城と同じように江戸時代になって寺が造られたのではないかと思い、傳乗寺の周りを一周してみました(^o^)。
傳乗寺山門
五重塔
本堂
山門の前には濠があったようです。
ここから南に少し下った所を丸子川が流れていて、傳乗寺の東西の横の道は、南は画面中央に小さく橋が写っている丸子川に向かって下り、
北は台地の上に向かってさらに上っていき、
北側には道を挟んで宇佐神社と古墳があります。
地形や宇佐神社と傳乗寺と川との位置関係などを見ると、やはりここには吉良氏の出城が在ったのではないかと思われました(^o^)。
傳乗寺の北西の角に↓のような表示がありました。
これはどういう道なのだろう?と調べてみたら「歴史におもいをはせる」ということから名付けられのだそうですが、ここから北へ向かえば隣の出城である奥沢城、南東へ向かえば田園調布八幡神社ですから、ここは水陸の交通の要衝でここを出城と出城を繋ぐ重要な道が通っていたようです。
「おもいはせの道」案内