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「塙」って?83 武蔵野台地の端(はな)72 尾山台宇佐神社

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2017.8.23 「塙」って?83 武蔵野台地の端(はな)72 尾山台宇佐神社

 

まずは尾山台宇佐神社へ。

 

宇佐神社

 
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この神社は多摩川の沖積低地から丸子川を越え、武蔵野台地の端(はな)に上って行く坂の中腹にありました。

 

ここは「八幡神社」という名前ではありませんが、宇佐なら当然八幡社ですよね。世田谷八幡は、明治5年に「宇佐神社」になって(されて?)いますから、ここもその頃に「宇佐神社」と名前を変えた(変えられた?)のかもしれませんね(^_-)。世田谷八幡は戦後、元の「世田谷八幡」に戻したそうですが、ここは戻さなかったのでしょうか(^o^)

 
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この神社も、源頼義が康平51063)年に創建したことになっているそうです。宇佐のカミサマは本当に権力が大好きだったのですね(^_-)

 

この神社の裏には古墳がありました。↑の社殿の右の木立が八幡塚古墳です。この台地の端(はな)は国分寺崖線で、この崖線上には大国主の時代から天津族の時代まで、古墳がたくさん並んでいるのです(^o^)

 
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 坂の上にあるこの古墳を囲んでいるフェンスまで行くことはできたのですが、駐車場になっていた古墳の周辺には何も説明がなく、フェンス越しに円墳か後円部らしきものの上に瑞垣と石造物があるのが見えただけで、古墳の形や大きさやいつ頃のものかなどは全く分かりませんでした<(_ _)>

 
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この古墳のある場所から見ると、当時ここはとても見晴らしの良い海に面した武蔵野台地の端(はな)だったことが分かります。現在のこの一帯の地名は「尾山台」ですから、この台地の端(はな)の山は「おやま」と呼ばれていたのかもしれませんね。小さな山の「小山」だったか、支配者の宮や墓のある「御山」だったか、海に突き出した舌状台地の「尾山」だったのか・・・・

 
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古墳は右手のフェンスの中
 
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下に見えるのは多摩川縁の平地で高層ビル群は多摩川の向こう側の川崎のビルです。
 
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この山と東側の山との間には谷があるようで、向こうの山の方が標高40mくらいあって高いようですが、神社がこちらの山にあるのは、40mの坂の上より20mの坂の上の方がずっと暮らしやすかったからではないでしょうか(^o^)
 
 

ところで、お天気は相変わらず不安定で、まだ毎日のようにどこかで記録的短時間大雨が降り、落雷が続いています<(_ _)>

 

先日落雷で怪我人が出た多摩川の花火では4000回、横浜の花火では2500回、昨日火災が相次いだ愛知では7000回もの落雷があったそうです<(_ _)>。落雷がそんな頻度で起きるということを、私は今年初めて知ったのですが、以前からそうだったのでしょうか?それとも最近急に増えたのでしょうか?




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