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2017.6.20 コメントへのお返事

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小説家・開高健の昭和40年代の随筆では、氏の趣味である釣の経験(秋田県)から「古代の海は豊穣であり、そこらじゅうで魚が獲れた」「粗末な釣り具で多くの魚が釣れる。こんな感動は暫くなかった」と体験を書かれていました。

私の小学時代でも海に行けばアサリ、小川にはシジミがたくさんいました。

土器やトイレは発見されないだけで、使われていたと思います。

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昨日killyさまから上記のコメントを戴きました。私は開高氏の随筆は読んでいないのですが、司馬遼太郎氏が「街道をゆく オホーツク街道」に同じようなことを書かれていました。司馬氏が子供の頃、浜には砂粒と同じくらいの数のアサリがいたそうです(^o^)

 

司馬氏は19231996年の方ですから、昭和40年頃までの日本はどこでもそんな風だったのでしょうか。

 

私はトイレについては全く考えてみなかったのですが<(_ _)>。中里貝塚から土器が出ないのは、標高から考えて、この貝塚が土器がまだ使われていなかった先土器時代の貝塚だからであろうと考えています。

 

土器がなかった時代には、水を運んだり、食材を煮たり茹でたりする時にはどうしていたのだろう?と考えてみたことがありました。ヒョウタンは古くから栽培されていたようですが、ヒョウタンでは水は運べても火にかけたら燃えてしまいますものね(^o^)

 

中里の「木枠付き土坑」の「地面に穴を掘って粘土で内貼りをし、そこに焼いた石を敷いてその上に貝を置き、水をかけて草木などでフタをして蒸し上げる」「水と材料を入れて焼いた石を投げいれて沸騰させて茹で上げる」との説明を見て、なるほどと思いました。


イメージ 1

 

この方法を続けているうちに、粘土が焼けた石の熱で固くなることを知って、粘土を焼いて器を作ることを思い付いたのではないでしょうか(^o^)

 

地面に掘った穴で煮炊きをするのでは、そこに行かないと調理も食事もできませんし、雨が降っていたら火を起こして石を焼くこともできなかったでしょうから、土器は、劇的に生活を変える画期的な発明だったのでしょうね(^o^)

 

土器ができたことによって、調理道具をどこへでも持ち運んでどこででも調理することができるようになり、雨が降っている時には家の中で調理したり、食事したりもできるようになったのですから\(^o^)/。

 

この土器を世界に先駆けて作ったのが、北海道にいた縄文人だったのですから、やはり「北の縄文文化」は世界五大文明として認められる価値のあるものであると私は思います(^o^)

 

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