2017.6.15 「塙」って?20 武蔵野台地の端(はな)11 中里貝塚5
これまで現生人類の化石はエチオピアで出土した20万年前のものが最古だったため、現生人類の発生は20万年前頃とされていたようですが、先日モロッコで30万年前の化石が発見され、現生人類の発生は一気に10万年遡るかもしれないそうです(^o^)。
これまでは、20万年前頃にアフリカで発生した現生人類が日本に到達したのは3~4万年前の旧石器時代だとされていましたが、それも何万年か早まるかもしれませんね(^o^)。
人類の拡散図
2015年には「中国湖南省の洞窟から12万~8万年前と推定される現生人類(ホモ・サピエンス)の歯の化石が多数発見され、ホモ・サピエンスは8万年以上前に中国南部まで進出していた可能性が出てきた」との報道もありましたし、東京都秋川市(現・あきる野市)の前田耕地遺跡では約13000年前の遺跡が見つかっていますから、中里付近に1万年以上前から人が住んでいたとしても不思議はありません。
もし、1万年前に海抜8mの中里が海辺で人が住んでいたとしたら、地球の温暖化による海進はどのくらいのスピードで進んでいたのだろう?と考えてみました。
これまでには氷河期と温暖期が何度も繰り返されてきたようですから、海面は単純に上昇し続けていたわけではないようですが、2万年前には今より100m低い所にあった海面が、1万年前には8mまで上昇していたとすれば、10000年で108m(10800㎝)上昇したことになりますから、単純計算では1年に1㎝くらい上昇していたことになりますね。
明治29年に描かれたスケッチによると貝塚周辺は畑で、その先には水田が広がっていて、その向こうには下総台地が見えていたそうです。
明治29年に描かれた「中里貝塚を飛鳥山続きより望みたる図」
中十条公園には「文政2年(1819年)閏4月、善光寺を訪れた帰路、ここを通った村尾正靖(むらおまさやす)は、このあたりは豊島・神谷・川口の付近を眼下に望むことができ、遥かに江戸川や国府台が遠望できたといっています。」と記されていましたが、この水田は江戸時代には海だったのですから、なるほど、十条台からも江戸川や国府台が見えていたのですね(^o^)。明治29年になっても、遮るものもなく水田の向こうには下総台地が見えていたのですから(^o^)。