2017.6.6 「塙」って?12 武蔵野台地の端(はな)3 十条の富士塚
赤羽台遺跡から北区中央公園に向かう途中の北区十条には「十条の富士塚」があるのですが、これもハケの上に造られた古墳で、直径18m・高さ5mの円墳であり、この付近には古墳時代の後期にあたる6~7世紀に造られた「十条台古墳群」があったそうです(^o^)。
十条の富士塚
この塚の前の道は「日光御成道(岩槻街道)」で、この道は本郷追分から、西ヶ原~飛鳥山~十条~赤羽と武蔵野台地の縁を通って北区を横切っているのですが、この台地の下は標高3~5mくらいの沖積低地ですから、江戸時代にはまだ海の退いた跡の湿地で、赤羽台遺跡や志村城や赤塚城などの立地とよく似ている標高23mのこの台地の端にある塚からは、6~7世紀には海の向こうに埼玉や千葉方面の洪積台地や山が見晴らせたのでしょうね。江戸時代には江戸川や国府台が遠望できたそうです。
これまでの実地踏査では、古墳(墓)はたいていその被葬者の宮の近くに造られていて、宮跡は広さや立地条件の良さから公共施設や学校になっていることが多かったのですが、この塚の向かい側には「荒川小学校」があります。眺望の良い(良かった)場所にあるこの学校は宮跡なのかもしれません(^o^)。「十条」という地形に由来しない地名も、古代の条理制の名残なのかもしれませんね。
この台地の端はさらに飛鳥山の方へと続いているのですが、飛鳥山の東側は武蔵野台地の荒川側のハケで↓のような急斜面になっています。
↑はこの台地の先端部の急斜面を登るモノレールの「アスカルゴ」です。
アスカルゴから見た台下の沖積低地
↑の左側の台地上に見えるのは対岸の王子神社。 台地の間には石神井川が流れていますが、この谷も6~7世紀には海だったのだろうと思います(^o^)。
ところで昨夕の突然の雷鳴は、やはりゲリラ豪雨になりました。雨量も多く、雹も降って、落雷もあったようです。異常気象は本当に常態化していますね<(_ _)>。