2017.6.5 「塙」って?11 武蔵野台地の端(はな)2
先日書いたように、これまで経験したことの無いような異常気象や激甚災害が常態化してきたのは、地磁気の逆転が始まっているからではないか?と私は考えたのですが、このことに関する解説は温暖化止まりで、まだそういう見方はされていないようです。
でも異常気象による激変は、これまで私がニュースなどで聞き知っていた以上のようで、ちょっと調べてみたら、この5月には、ほとんど雨が降らないサウジアラビアで大雨が降って洪水が起きたり、インドで一時間に89回の落雷があったり、イギリス南東部とフランスでは12時間に12万回の落雷があったり、稲妻が地上から上空に向けて走ったりと想像を超えるような様々な現象が世界中で起きていたようですし、カナダにこれまで見たことがないような大きな氷山が漂着したりもしていたようです。
気象だけではなく、先日書いたような地震・噴火などの海底の変化やプレートの動きや深海に住む生物の異変などを考え合わせると、これらの出来事が何の関連もなく偶然に同時に起きているのだとは私には思えないのですが・・・・・<(_ _)>。
けれど、このことに関しては今はそれ以上のことは分からないので<(_ _)>、未来から過去の考察に戻ることにします。
武蔵野台地の端の多摩川の側には、国府や国分寺があって都との関係が深かったせいか、そちら(南西)側が表という感じで、崖線や遺跡などについての本や解説書などがたくさんあります。私はそれらを見て現地に確かめに行っていたのですが、荒川の側(北東側)についてはそういったものを見たことがなかったので、こちら側の崖線については考えてみたことがありませんでした<(_ _)>。
板橋区から北区まで川に沿った平地を通っている環状八号線を走った時、右手が高台になっていてハケが続いていることに気が付いたのですが、それが何なのかはその時は分かりませんでした<(_ _)>。
先日武蔵野台地は荒川と多摩川に挟まれた台地であることを知って、そのハケが武蔵野台地の国分寺崖線とは反対側の崖線だったことが分かり、その縁にたくさんの神社や古墳や遺跡や城跡が並んでいた理由が分かりました(^o^)。このハケは、旧石器時代から人が住み続けていた武蔵野台地の端(はな)の「塙」だったのです\(^o^)/。
武蔵野台地の荒川側の縁の北区赤羽にある赤羽台遺跡。
現在ここは星美学園の構内になっていますが、守衛さんに声をかければ見学させてもらえます。遺跡は本当に崖の縁にあって、川の向こうは埼玉県川口市です。
この古墳群のうちの3号墳の横穴式石室が、北区中央公園の文化センターの東隣に移築保存されています。
この石室には房州石が使われていたそうですから、その石は房総半島の鋸山から船でこの台地の裾まで運ばれてきたのでしょうね(^o^)。
房州石
房州石の故郷の鋸山