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鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?5

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2017.4.21 鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?5
 
鹿島に出かけたのは20119月だったのですが、たまたまその10月からNHKで「塚原卜伝」のドラマが始まるということだったので、卜伝はどういう人だったのかドラマを見てみることにしました。私はそれまで卜伝に興味を持ったことがなく、卜伝については武蔵との鍋蓋対決以外のことは何も知らなかったので(^_^.)
 
ドラマを見てまず「あれ?」と思ったのは、鹿島生まれの武士だと思っていた卜伝が鹿島神宮の人だったということでした。剣豪なのだから武士だと思っていたのに、卜伝は鹿島神宮の神主だったのかな?でも神主ならなぜ祝詞ではなく剣の修業などしていたのだろう?神主が回国修行などでずっと留守にしていても問題はなかったのかな?と釈然としませんでした<(_ _)>
 
そこで、塚原卜伝とはどういう立場の人だったのか、卜伝と鹿島神宮との関係を調べてみたのですが、「塚原卜伝は、鹿島神宮の神官・鹿島氏の四家老の一人である卜部覚賢の子」だそうなので、やはり神官だったようだけれど、鹿島神宮の神官の家にはなぜ家老が4人もいたのだろう?とますます訳が分からなくなってしまいました<(__)>
 
その上、「塚原卜伝は鹿島神宮の神官・卜部覚賢の子」なのに、ドラマでは神主さんらしい場面は全く出てこなくて、服装もヘアスタイルも武士のようだったので、本当に神官の子だったのかな?と疑問に思ったのですが、平氏の塚原安幹の養子になったとのことなので、このドラマはもう養子に行って武士になった後の話なのだろうと考えてみたり・・・・・
 
いろいろと釈然としないことが多かったのですが<(_ _)>、当時の私は中世史や近世史の知識があまりなくて調べてみてもよく分からなかったので、鹿島神宮と卜伝についてはそこまでにしておくことにしました。乏しい知識でその部分だけでつじつまを合わせようとすると見当はずれの説になってしまうかもしれませんから(^_-)
 
ちょうどその頃に、上総介になった平高望の子孫たちや、常陸介になった源義光の子孫たちが支配地を広げ、「平」や「源」から次々に佐竹や武田や鹿島など別々の「氏の名」を名乗っていたことが分かってきていたので、このさまざまな「氏の名」とは姓(せい)ではなく、領地の地名だったのではないか考えていたのですが、平姓鹿島氏の「鹿島」も、中臣姓鹿島氏の「鹿島」もやはり領地の地名だったのです(^o^)
 
そういえば、得川氏の系図を買って「徳川家康」になる前の「松平家康」の「松平」も領地の地名で、時宗の遊行僧だった徳阿弥が、三河国松平郷の山間の小部落の主の娘を妊娠させ、婿に入って「松平氏」になったのが松平徳川家の始まりなのだそうです。
 
松平郷ってどこにあるのかな?と調べてみたら、現在の愛知県豊田市松平町にあたる三河国加茂郡の巴川(足助川)東岸の山地の小集落で、一帯に残る館跡、城跡等は松平氏遺跡として国の史跡に指定されているのだそうです。いつか機会があったら行ってどんな所か見てみたいな♪


イメージ 1

この地図の中央辺りに松平があります。



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