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大水害と古代の海2

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2015.9.11 大水害と古代の海2


「止まない雨はない」と言いますが、昨日のような降り方を見ていると絶望的な気持ちになってきますよね(-_-;)

 

「ノアの方舟」のオハナシが創られた頃にもきっとあのような雨が続いていたのでしょうね。そのオハナシを聞いた時私は、ノアは世界中の生き物をどうやって集めたのだろう?どのくらいの時間がかかったのだろう?それを全部乗せることのできた舟ってどのくらいの大きさだったのだろう?と一生懸命考えたのですが、日本列島を生んだというイザナミはどのくらい大きな人だったのだろう?と考えた時と同じように、想像することができなかったことを思い出しました(^_^.)。思えば私は幼いころからそのテの非論理的なオハナシに悩まされてきたのですね~<(__)>

 

それはともかくとして、ニュースを聞いていた時に「那須塩原市の塩谷町では・・・」と聞こえてきたので、塩原にはまだ他にも塩の付く地名あったのか、とすぐに地図を見てみたのですが地図では見つけられませんでした。先日Killyさまへのお返事に書いたように、那須塩原市には「黒磯・波立・塩野崎・島方・豊浦」などの海だったことを思わせる地名や塩原湖底層と呼ばれる砂礫の層があるのです。

 

古い地名や細かい地名は一般的な地図では分からないことが多いし、地形は実際に見る方がよく分かるので、出かけて行って地域の資料館で資料を収集してくるわけですが、いろいろと検討して「ここは海だったのではないか」と見当をつけて出かけ、地元の方にお聞きしてみると、あっさりと「そうですよ」といわれて拍子抜けしてしまうことが多いのです(^o^)

 

一番面白かったのは若狭の向笠でしたね。若狭に行ってみようと地図を調べていたら、鳥浜貝塚のさらに奥の向笠に「国津神社」があり、その付近の地名が「仏浦」だったので、鳥浜貝塚は当然海辺だったはずだけれど、古代にはもっと奥のここまで海だったに違いないと考えて行ってみました。

 

鳥浜貝塚

イメージ 1

 

国津神社

 
イメージ 2

イメージ 3

地形的には海だったと思われたのですが、ここにはそれを確認できるようなものが何も見当たらなかったので、近くのあぜ道で立ち話をしていた方にダメモトで「この辺りは海だったという言い伝えはありませんか?」とお聞きしてみたところ、「ああ、海だったよ。ここは干拓地なんだ。昭和37年に入植した時、あの辺りはまだ海だったね。田んぼを作ろうとしたら土の中から丸木舟や櫂がいくつも出てきたよ」と教えてくださいました(^_^.)

 

「やっぱりここまで海だったんだ!その舟や櫂は今どこにあるんですか?」とお聞きすると、「いくつもあって邪魔だから穴を掘って全部埋めてしまった」「ええっ!どこに埋めたんですか?場所を教えてください」と興奮していると、「場所を聞いてどうするんだ?」と後ろから冷静な声が・・・

 

「もちろん掘り出すに決まってるでしょ!」「掘り出してどうするんだ?持って帰るのか?」


突然現実に引き戻されました(-_-;)。持って帰ることなどできないし、そんなものを家の中に持ち込んだら舟の中で寝なければならなくなってしまう・・・・<(_ _)>。というわけでそこで話は終わったのですが、「場所だけでも聞いておけばよかった」と今でも時々思うんですよね(^_-)

 

その時博物館に連絡しても反応がなかったのは、当時はまだすぐそこまで海だったし、学芸員さんたちはその干拓地が海だったことを知っていたから舟が出てきても当然だと思って驚きも興奮もしなかったということなのでしょうね。

 

大雨は今日もまだ続いていて、今日は宮城県の大崎で渋井川の堤防が決壊し、一面海のようになってしまいました(T_T)。大崎ってどこだろうと地図で探してみると、やはりここも平野で、古代には海だった所のようです。

 

以前、killy様に岡山の「迫・佐古・砂古(さこ)」・「二万(にま))についてのコメントを戴いた時、「さこ・にま」は古代の海に関係のある地形を指している言葉なのではないかと考えて調べてみました。

 

その時に宮城県の登米市にも迫町があり迫総合支所の住所が「登米市迫町佐沼」であることを知って、登米市のある広大な田園地帯と付近に今も残るいくつもの沼は、古代には海だったのだろうと考えたのですが、大崎市はその登米市の隣でこの水郷地帯にあり、ここも今回の大雨で海のようになってしまったのです。

 

↑の一蘭には登米市の迫町は入っていないのですが、これを「さこ」と読むのは関西方面のようで、登米市の迫町は「はさままち」と読むようです。ニュースではここを流れる迫川も危険水位になっていましたが、この川も「はさまがわ」でした。

 

今、また急に激しい雨が降り出しましたが、気象は今後も荒くなる一方のようですから、やはり防災対策や避難場所の選定や、重要施設の建設場所の選定には「古代の地形」の視点を取り入れることが必要なのではないでしょうか?

 
 
 
 
 

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