2015.9.12 大水害と古代の海3
Maggieさま、大崎市の情報をありがとうございました。私は、大崎市の名前を今度の災害で初めて知ったので、町村合併で名前が変わっていたことを知らず、初めから「大崎」だったのだと思ってしまっていました。
さっそく大崎市について調べてみましたら、2006年に古川市、志田郡松山町、三本木町、鹿島台町、玉造郡岩出山町、鳴子町、遠田郡田尻町の一市六町村が合併してできた市だったのですね。
「古河市」から「大崎市」に名前が変わったのはそれが理由でしょう。合併にあたっては、どの旧自治体も合併後の名前に自分の名前を残したいと思うため、新しい名前の決定は紛糾するようで、大概は元の名前から一字ずつをとってくっつけるという形に落ち着くようです。それでもどっちを上にするかでまたモメるようですが(^_-)。
市町村名で、何だか不自然で意味の分からない(意味のない)奇妙な名前に出会った時、なぜそんな名前が付いているのかを調べてみると、大概は地形にも歴史にも関係なく、合併した時にくっつけて作られた名前であることが分かります(^o^)。元の一つ一つの名前にはちゃんと納得できる意味があったということも。
「大崎」は地形に由来する名前だったので、私は初めからそういう名前だったのだと思ってしまったのですが、これも「思い込み」に過ぎず、確認が必要だったようです<(_ _)>。
確認と言えば、なぜ歴史学者さんたちは確認も検証もしないで非論理的なつじつま合わせばかりをしているのだろう?ということについて、去年↓のようなことを書いていたのをたまたま見つけ、某出版社で「古代の地形から『記紀』の謎を解く」が「奇を衒った説にすぎない」と言われたのは、この本に書いたことが検証と確認に基づいた推理であって、本居宣長の『古事記伝』に基づいたものではなかったからだということに遅まきながら気が付きました(^_^.)。
新しい市町村名については、3町村くらいまでなら、小川町・美野里町・玉里村が合併して「小美玉市」になったように一字ずつとってくっつけるという方法が可能なわけですが、大崎市のように7つもの市町村では無理ですね(^o^)。
Wikipediaによれば、ここは「大崎地方」と呼ばれていたようです。合併後の名前に7文字をくっつけるわけにはいかないし、かといって一部だけを使えば他から不満が出るということで、どれでもない「大崎地方」からとった「大崎市」になったのだろうと思います(^o^)。
Maggieさま、地名から地形を考えてみるのはとても有効ですから、地名を見て「○○に関係があるのではないか?」と考える感覚や感性を大事になさってくださいね(^o^)。そうすればだんだんに地名の持つ地形の共通性が見えてきます。
私は「崎」は川というより海に関係する地名だろうと考えています。今でも海に面した突端の地形を「○○岬」とか観音崎や須崎のように「○○崎」といいますよね。「崎」は「先」で突端や先端のことなのではないかと思います。岬は海先かな(^_-)?
大崎市を航空写真で見ると、穀倉地帯である広大な平野の中に鹿島台・大日向山・高寺山などのある高台があるようです。これがこの平野が海だった頃は、その海に突き出した大きな崎(先端)だったので「大崎」と呼ばれたのではないでしょうか。
「○○はな(鼻・端)」という地名も同様に突端を表しているようです(^o^)。
ところで、鬼怒川の決壊では、災害対策本部の置かれていた常総市役所も水に浸かってしまったそうですが、市役所は平地の低い所に造られていたようですね<(_ _)>。
昨日、「防災対策や避難場所の選定や、重要施設の建設場所の選定には「古代の地形」の視点を取り入れることが必要なのではないでしょうか?」と書きましたが、古代には海で、江戸時代にもまだ低地は湿地だった関東平野では、昭和まで町の機能の中心は標高20m以上の洪積台地の上にあったのです。
最近は大きなショッピングモールや住宅が広くて平らな水田地帯(沖積低地)に造られるようになって、公共施設なども低い所へと移動しているために、洪積台地上にあった町はシャッター街になってきているようですが、災害対策本部が水没してしまったのではお話になりませんから、低地へ移ってしまった住民の利便性のために出張所は低地に置くとしても、本体や備蓄倉庫などは洪積台地上に置くべきではないかと私は思います。「50年に一度の災害」の起きる頻度はこれからより高くなりそうなのですから<(__)>。