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宇佐神宮28 権力が大好きな宇佐の神様4

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2017.2.27 宇佐神宮28 権力が大好きな宇佐の神様4

 

江戸城を造り、鶴岡八幡宮から八幡神を勧請して亀岡八幡宮を造った大田道灌は、初めは江戸ではなく川崎に城を造ろうとしていたそうです。川崎市幸区の夢見が崎にある「天照皇大神」には、「大田道灌がここに参詣した時に瑞夢を見て江戸城を造った」という由緒が記されていたのですが、

 

夢見が崎の天照皇大神 

イメージ 1

イメージ 2

由緒 

イメージ 3

 

この夢見が崎には、由緒のオハナシとは少し違う「かつて太田道灌がここに陣を敷いてこの地に築城しようとしたが、一羽の白い鷲が道灌の兜を掴んで南西の地へ飛び去る夢を見て不吉に思い築城をやめた」という伝承もあって、横浜市鶴見区駒岡3丁目にはその兜を埋めた兜塚の碑が建てられているそうですし、『関八州古戦録』では、品川沖を航行していた道灌の舟に九城(このしろ)という魚が踊り入ったのでこれを吉兆と喜んで江戸に城を築くことを思い立ったという話になっているそうです(^o^)。由緒のようなものって、みんな自分に都合の良いオハナシを勝手に創っているようですね。どうせ誰も検証などしない(できない)のだからと書きたい放題のようです。

 

祭神の名前が勧請元の八幡総本宮の「比売大神」から、市谷亀岡八幡宮では「与登比売神」という聞いたことのない名前に変わっていたり、神代からいたはずの八幡神というカミサマが、宇佐神宮では「5世紀の応神天皇」というニンゲンになったかと思うと八幡大菩薩というホトケサマになったり、『古事記』が皇祖神として創り出した「アマテラス」が中世には「庶民の商売の守り神」になっていて、庶民が「おかげ詣り」に熱狂したかと思うと明治以降は庶民とも商売とも全く縁のない「皇族のカミサマ」になったりと、祭神の名前も、御神徳も、由緒も、時流に合わせて変幻自在に作っていたようです(^o^)。今も新しいカミサマや新しい御神徳は次々に作られていいますしね。


記事の宇佐市観光協会専務理事さんのお話の中に「(八幡神は)状況を見るに敏というか、地域の産土神とは違ってどんどん動いて行く神様なんです」とありましたが、動いて行くことができたのは、八幡神がもともと応神天皇ではなく、応神天皇の子孫が祀っていた祖先ではなかったからでしょう(^o^)

 


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