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宇佐神宮26 権力が大好きな宇佐の神様2

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2017.2.24 宇佐神宮26 権力が大好きな宇佐の神様2

 

宇佐の神様は、桓武天皇が奈良から京都に遷都した際には「吾、都近き石清水男山の嶺に移座して国家を鎮護せん」と言って、みずから石清水八幡宮に出張したそうなので、宇佐から石清水に出張したのかと思ったのですが、その前に奈良にも出張していたのですね(^o^)

 

東大寺と大仏が建立された時、「われ天神地祇(てんしんちぎ)を率(ひき)い、必ず成し奉(たてまつ)る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交(まじ)えて障(さわ)ることなくなさん」と言って、749年に奈良に出張して行ったのだそうで、これが宇佐八幡宮からの分社の第一号だったそうです。

 

奈良の宇佐神宮ってどこにあるのだろう?と探してみると、奈良市街東部の手向山麓にある「手向山八幡宮」が宇佐八幡宮から東大寺の守護神として勧請されたものなのだそうです。奈良市内をあまり知らない私は、手向山に八幡宮があることも「手向山八幡宮」が「宇佐八幡宮」であることも全く知りませんでした<(_ _)>。奈良探訪では二月堂まで行ったところで時間が無くなったので引き返してしまったのですが、八幡宮はその先にあったようです(T_T)

 

二月堂付近

 
イメージ 1

菅原道真の「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」の歌は百人一首で知っていたのですが、道真は平安時代の人だから、手向山は京都の周辺にある山なのだろうと漠然と考えていました<(_ _)>。関東育ちの私は、賤ヶ岳も天王山も手向山も石清水も、みんな「西の方にある」と漠然と考えていただけで、どこにあるのかは実際に行ってみるまで知らなかったのですよね(^_^.)

 

古代の地形から『記紀』の謎を解く」を読まれた関西や九州の方が、本に書かれている東京や関東の地名や地形が全く分からないという感想をお持ちになったのも、『常陸国風土記』はマイナーだと言われたのも同じなのでしょうね。奈良・京都の歴史は教科書で教えられますが、有名観光地ではない関東の地名など聞いたこともなかったでしょうから(^_-)

 

都が奈良にあった時には奈良に、京都にあった時は京都に、鎌倉にあった時には鎌倉に、江戸にあった時には江戸に出張していた宇佐の神様は、確かに宇佐市観光協会専務理事さんのおっしゃるように「状況を見るに敏で、どんどん動いて行く神様」だったようですが、このカミサマは変わり身も早かったようですね(^_-)。カミサマしかいなかった時代には「八幡神」、聖武天皇に近づいた時には「応神天皇の御神霊」、仏教が入ってきて隆盛になると「八幡大菩薩」、廃仏毀釈の明治以降は「八幡大神」と時流に合わせて変身していたようです。

 

571年に示現して、150年後の725年には応神天皇になっていた八幡神が、仏教の「菩薩」を名乗るようになった「神仏習合」は、全国に先駆けて宇佐から生まれたのだそうで、当時の宇佐では神職より社僧の地位の方が高かったのだそうです。

 

宇佐の神様は、「きわめて政治的な動きをする神様」だそうですから、「道鏡を天皇にすべし」という神託を奏上したという大宰主神(かんづかさ)の習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)は、称徳天皇の望みに沿った託宣を作って奏上することで称徳天皇に取り入り、神職の優位性を取り戻そうとしたのでしょうか(^_-)

 

明治になると神祇官が国家神道を作り出して廃物毀釈を唱えたため神職が優位になって宇佐八幡宮から寺や八幡大菩薩を追い出してしまったようですが、今は神宮と神社庁が対立しているそうです。宗教はいつでもシェア争いをしているようですね<(_ _)>



宇佐神宮の年表をザッと眺めていたら、

781 八幡大神に護国霊験威力神通大菩薩の尊号を上る。

783 神託により八幡大神の法号に自在王の号を加えられる。

とありました。

 

それでは571年に示現した八幡神が『われは誉田天皇広幡八幡麿呂なり。我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と号す』と名乗ったという宇佐神宮の由緒が作られたのは783年以降だということのようですね(^o^)



 
 

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