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宇佐神宮24 欽明天皇と八幡宮2

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2017.2.22 宇佐神宮24 欽明天皇と八幡宮2

 

2011年の紀ノ川探訪で、「応神天皇は神功皇后と武内宿禰に連れられてヤマトへ入った」というのは『古事記』の作ったオハナシ(真っ赤なウソ)で、462年に百済から渡来してきた余昆(昆支・後の応神天皇)は、紀ノ川から橋本市の隅田を経由して意柴沙加宮(おしさかのみや)に入ったようだということを確かめることができました\(^o^)/。

 

隅田八幡神社

イメージ 1

 

隅田八幡・国宝人物画像鏡 

イメージ 2

イメージ 3

「余昆」と「応神天皇・隅田八幡・国宝人物画像鏡の銘文・斯麻・意柴沙加宮」との関係については「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第3章をご参照ください。

 

応神天皇が入った意柴沙加宮(おしさかのみや)は忍坂にあったのではないだろうか?と考えたのですが、実際に見ることはできなかったものの、宮跡の場所は2015年春の桜井市探訪で確認することができました\(^o^)/。

 

学者さんたちは、脇坂から出土した宮跡を『古事記』が記した雄略天皇(在位456479)の朝倉宮跡だと信じて疑わないようですが、雄略天皇は架空の人物で、雄略天皇が在位したことになっている期間に実際に在位していたのは応神天皇(464506)なのです(^o^)

 

1585年の秀吉の紀州侵攻時に焼失してしまったため、現在は「東征以前の支配者だった大国主」を祀っていた木本神社と合祀されて木本八幡宮になっている芝原八幡宮は「創建は宇佐神宮の712年より古い」と記されていましたが、芝原八幡宮を造ったのは欽明天皇で、宇佐神宮を造ったのは欽明天皇の子孫の聖武天皇なのですから当然ですね(^o^)

 

木本八幡宮由緒

イメージ 4

 

また宇佐神宮の歴史年表によれば、712年は八幡神を鷹居社に祀った年で、この鷹居社が716年に小山田社に遷され、725年に小倉山に遷されて宇佐神宮が造られたのだそうですから、八幡神が応神天皇になったのは712年ではなく725年のようです。

 

571年に宇佐に示現したとされ、712年に鷹居社に祀られた八幡神は、応神天皇ではなく秦氏の祀っていた「ハタタ神」で、725年に宇佐神宮が造られた時に「八幡神は応神天皇である」ということにしたということでしょうか(^_-)

 
 

ところで、ジョンナム氏殺害に使われた毒物が何だったのか、まだ特定されていないようですね。VXガスではないかという見方があるようですが、もしかすると夾竹桃だったのではないでしょうか?

 

私は毒物には何の知識もないのですが、以前バーベキューをしていた人たちが、夾竹桃の枝を割り箸代わりに使って中毒を起こした」という話を聞いてビックリして調べてみたことがありました。夾竹桃は、花、葉、枝、根、果実すべての部分に猛毒があり、周辺の土壌や枝を浸した水や燃やした煙にも毒性があるそうです。

 

『善徳女王』のドラマで、敗走し絶体絶命の危機に陥った新羅軍が、風上で夾竹桃を燃やし、その煙を吸った百済軍がバタバタ倒れる場面を見て、それほどの毒性なのか?とまた驚いたのですが、今朝見たドラマにも首に夾竹桃の液を塗って失神させる場面が出てきましたから、夾竹桃は朝鮮半島では昔から良く知られ、使われていた毒のようです。

 

VXガスは素人が扱うのは難しいそうですが、実行犯の女性たちも、周囲にいた人たちも死んでいませんし、ジョンナム氏もその場で即死したわけではなく、自分で歩いてクリニックに行ったそうで、亡くなったのは襲われて30分以上経ってからだったようですから、VXガスではないだろうと思うのですが。

 

ドラマでは、刺客や工作員はみな自害用の青酸カリを持っていますが、現代の工作員もみな持って(持たされて)いるのだそうですね。陰謀ばかりでうんざりしながら見ていた歴史ドラマが、まるで古代そのままにリアルタイムで繰り返されているようです<(_ _)>

 

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