2015.9.5 諏訪湖と塩7 「塩の山」と塩湖
北杜市大泉には、たまたま私が行ってみた「金生遺跡」だけではなく、 80以上もの遺跡があるということをyst*n*zさまのコメントのおかげで知ることができました\(^o^)/。
やはりこの高原には大昔からずっと多くの人が住み続けていたのですね。北杜市には釜無川に合流する「塩川」という川も流れているようです。八ヶ岳の周辺には本当に「塩」の付く地名が多いようですが、これはやはりそれほどに塩が身近にあったということなのでなないでしょうか?
金生遺跡
遺跡はこんな標高780mの高原にあります。
諏訪湖や甲府盆地が旧石器時代や縄文時代に塩湖であったなら、「塩の山」の地名は当然塩と関係があるはずですから、そういう記録か伝承が何か残っているのではないかと考えて情報を探してみると、この「塩の山」に登った方の記事が見つかりました(^o^)。
私は「塩山(えんざん)」というのは駅名であり、塩山市一帯のことなのだと思っていたので「塩の山」という名前の山が実際にあるということを今まで知らなかったのですが(^_^.)、「塩の山」は塩山駅近くにある高さが150mほどの山で、昔は本当に岩塩がとれたようです\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。
↑の記事を書いた方は「それはウソだ」と思われたようですが、もし塩が無かったのであれば、海から遠い高原に旧石器時代から多くの人が住んでいたり、山に囲まれた盆地の中の小さな山に「塩の山」などという名前が付けられたり、真水の川に「塩川」という名前が付けられたり、ここで岩塩がとれたなどという荒唐無稽なオハナシが残っていたりすることはなかったでしょうから、塩がとれたと伝わっていたなら、やはり甲府盆地はここまで推理してきたようにかつては海だったことがあり、古代には塩湖だったのではないでしょうか?
その頃は、今は町中の山になっているこの「塩の山」は、その海に浮かぶ島だったのでしょうね。この山は四方から見えるから「しほうの山」だという説もあるようですが、これは後付けの解釈であり、四方から見えるのは島だったからで、やはり元から「塩の山」と呼ばれていたのだろうと思います(^_-)。
このところオリンピックのエンブレム問題が連日ニュースになっていますが、今朝のニュースにはこれまでのオリンピックで使われたエンブレムを並べた映像が出ていました。「ソルトレーク・オリンピックでは・・・・」と声が聞こえてきた時、そのオリンピックの開催地が決まったというニュースを聞いた時に「ソルトレークって塩の湖なのかな?」と考えたことを思い出しました(^o^)。
・・・・塩山が「塩の山」だったなら、ソルトレークは本当に「塩の湖」だったのかもしれない・・・・・
ところで、今朝のニュースには安保法案反対のデモに大勢の若者が集まっているという報道もありました。このところ私が感じていた空気を、デモに集まった若者たちはより敏感に切実に感じ取っていたのかもしれません。
↑の「人を戦場に送る法案を決めるようなおエラ方は、自ら危険な所に行ったりはしない」といえば、そんなおエラ方がいざという時逃げ込めるようにどんな爆撃にも耐えられるように設計されていたという、皇居の防空壕が先日公開されていましたよね(^_-)。
この学生たちを利己的だと非難した議員さんについてのその後の報道を見ると、この議員さんの方がずっと利己的だったようですね(-_-)。