2015.9.4 諏訪湖と塩6 世界の塩湖
塩のことを考えていて、以前「ザ・ソルトコレクション」という各国の7種類の塩の詰合せを戴いたことを思い出しました(^o^)。
それまでに使っていたのは赤穂の塩、能登の塩、沖縄の塩など、どれも海の塩でしたから、「ヘェ~、塩って海の塩やモンゴルの岩塩の他にも種類がいろいろあったんだ」と思って取っておいたその説明の栞を見てみると、日本・シチリア・ベトナム・オーストラリアの海塩のほかに、パキスタンとインカの岩塩、パタゴニアの湖塩がありました。
インカの塩はボリビアで採掘された淡いピンク色の岩塩です。映像で見た標高3700mのウユニ湖の塩は岩塩ではなく、雨季には塩湖となる「純白の塩の原」でしたから、ボリビアには湖塩の他に岩塩の採れる所もあるのですね。
パキスタンのピンクロックソルトは、パキスタン・ソルトレンジで採掘されたピンクの岩塩です。ソルトレンジって何だろう?と調べてみると、2億5年万年前の「ペルム紀」の海が「湖」の状態になり干上がって塩の結晶ができ、それが地殻変動などによって地中に没して岩塩の層になったと考えられているそうです。
これは先日のプレートテクトニクスそのものではありませんか(^o^)。インド亜大陸がユーラシアの下に潜り込んでヒマラヤが押し上げられていく過程でその間にあった海が閉鎖された塩湖になり、長い時を経て岩塩の層になったのですね。なんだかプレートテクトニクスが急に身近になってきました(^o^)。
ヒマラヤは上に行くほど海底に近づくそうですし、ヒマラヤの標高3800mのムクチナート村に住んでいる人々は、塩を手に入れるためにいちいち山を下りていた訳ではないでしょうから、ヒマラヤの山の上にもきっと岩塩があるのでしょうね。ムクチナート村の周辺にはアンモナイトの化石がふんだんにあるようですから、大量のアンモナイトが山の上に押し上げられて化石になってしまった時、アンモナイトが生息していた海も一緒に閉じ込められて岩塩の層になったのではないでしょうか(^o^)。
ヒマラヤのアンモナイト
ムクチナート村はネパールにあるそうですが、チベットには標高4718mのところナムツォという塩湖があるそうです(^o^)。
パタゴニアの塩は、アルゼンチン・パタゴニア地方のコロラドグランデで採取された湖塩だそうです。塩湖や岩塩の層は世界中のあちこちにあるようですから、塩は、海の近くに住んでいなくても、「かつては海だった山や湖」でも手に入っていたのですね(^o^)。
私はこのブログで、遺跡の位置などからここ一万年くらいの間の地形の変化を推理してきたのですが、大地は私の想像をはるかに超えてダイナミックに動いていたようです(^_^.)。
某歴史関係の出版社の方からは「奇を衒った説」だと決めつけられ、「どうせ5冊と売れるはずがないから、一年経ったら残りは全部裁断して破棄する」とまで言われた「古代の地形から『記紀』の謎を解く」を現在出版してくださっているのは、恣意的な歴史解釈本とはこれまで全く縁のなかった論理的思考の理系の出版社です(^o^)。
医者が「あなたの病気は神様の祟りのせいだから御祓いをすれば治る」などと非論理的なことを口にすれば、患者さんの命を危険に曝すばかりか自分の社会的生命まで失うことになるだろうと思うのですが、歴史学者や哲学者が非論理的なことを広言すると「日本を代表する学者」という評価を得られるようですね(^_-)。
ウソ八百の『古事記』や、そのウソを結果的に補強した『古事記伝』によってすり込まれた非論理的な固定観念を捨て、文献の矛盾の恣意的なつじつま合わせに終始する近視眼的な歴史解釈を止めて、もっと視野を広げて論理的に考えないと本当の歴史は見えてこないと私は思います(^_-)。