2017.2.7 宇佐神宮11 カミサマのDNA
宇佐神宮の八幡神について、ある本に「八幡神は香春(かわら)岳(豊前国田河郡香春郷 現在の福岡県田川郡香春町)の銅採掘業者の奉祭する渡来系の神であった」と記されていたので、エッ!と思って宇佐八幡のH.Pを調べてみたら、「仏教と銅と新羅神」という項に、そのことが記されていました。
「田川郡には新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいて、宇佐神宮の放生会には、香春岳の銅で造った銅鏡が田川郡から奉納されていた」のだそうで、8世紀の『豊前風土記』には「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿春郷(かわらのさと)と名づけた」と記されているそうです。
でも『豊前風土記』は、太宰帥として赴任していた藤原宇合が『古事記』のウソを現実化するために『古事記』に合わせて作ったものだということがここまでに分かりましたから、これは疑ってかからなければなりません(^_-)。
河原というのは雨が降って川が増水すれば水浸しになったり流されてしまったりする低湿地ですし、河原者や河原乞食という差別用語があったことをみても、神(支配者)が河原のような低湿地に住んだはずはありませんから、「新羅の神が河原に住んだので鹿春郷(かわらのさと)と名づけた」というのは「ヤマトタケルがああ吾が妻よと言ったから吾妻(あづま)の国と名付けた」というのと同様の語呂合わせの「故事付け」でしょう(^o^)。
この香春岳で銅を採掘して銅鏡を造っていた渡来人は新羅人ではなく、採掘や精錬の技術を持ち「はたた神=八幡神?」を祀っていた秦氏だったのかもしれませんね。
また「神託事件」に関しては、「皇嗣について神意を問うのに、なぜ皇祖神を祀る伊勢神宮に行かずに遠く離れた宇佐神宮に行ったのかは謎だ」とされていたのですが、アマテラスは『古事記』が創った架空の人物で皇祖ではなく、歴代の天皇はみな人類であって、架空のアマテラスの子孫ではなかったのですから、それは謎ではなく当然なのです(^o^)。
先日の新聞に「ヒトと文明」という本の紹介が載っていたのですが、人類の発達や移動経路はもうかなり解明されていてそこにはカミサマが入り込む余地はないのですよね(^o^)。
それでもカミサマの子孫だと強弁するのであれば、DNA鑑定の結果を示せばいいのではないでしょうか。「カミサマの子孫」だという根拠が嘘八百の『古事記』の作り話だけというのではあまりにも脆弱すぎますが、DNAの中に人類には由来しない全く異なったものが含まれていることを示すことができれば、「自分たちはただの人類ではなくカミサマの子孫なのだ」と胸を張って主張できるではありませんか(^o^)。
まあ、アマテラスや『古事記』が作ったカミサマたちに由来するDNAを見つけることができないことは分かりきっていますから、絶対にやらないでしょうけれどね(^_-)。
でも歴史学者さんたちも、根拠の無い『古事記』のカミサマや怨霊を使って飛躍した論法でつじつまを合わせることにばかり熱中していないで、もう少し科学的・論理的に考えてみてもいいのではないかと私は思うのですけれどね~。