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穂高神社と安曇野120 安曇族(海人族)58 釈迦三尊像のモデル?3

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2016.11.4 穂高神社と安曇野120 安曇族(海人族)58 釈迦三尊像のモデル?3


 地球の歴史からニンゲンの歴史に戻ります(^o^)
 

↓の聖徳太子坐像は、太子信仰の高まりを受けて1121年に作られたのだそうですが、なるほどアメノタリシヒコの時代には無かったという笏を持っていますね(^o^)。解説によれば、服装と被り物もちぐはぐなようです(^_-)

 

聖徳太子座像


イメージ 1

 

この座像は、四角い板の周りに珠を垂らしたものを頭に乗せていますが、聖武天皇の絵にも同じようなものが描かれていますよね。私は、韓国歴史ドラマにもよく出てくるあの玉すだれのような被り物はなんなのだろう?と思っていたのですが(^o^)、冕冠(べんかん)というものだそうで、日本では天皇礼冠とも呼ばれ、即位や朝賀の儀などに袞衣(天皇礼服)とともに用いられたものなのだそうです。そういえば韓国歴史ドラマでも即位式や結婚式の場面に出てきていましたね(^o^)

 

冕冠は礼冠ですから本来は礼服とセットで着用するものなのに、↑の座像の太子の服装は通常の朝服ですし、冕冠(べんかん)の下に通常の貴族が用いる巾子冠(こじかん)というものを被っていて、このような着用の仕方は普通はあり得ないのだそうです(^o^)

 

そうであれば、「この像はおかしい」と思うのが普通の感覚ではないかと私は思うのですが、知識の豊富な学者さんたちは、ありえないはずのものでも理屈をつけて正当化してしまうようです(^_-)


通常の服なのに頭に冕冠を載せているのは、「太子にとって冕冠は本来の用途とは異なり、至高の聖人であることを表すアイテムとして用いられていると言える」のだそうですし、巾子冠と冕冠を重ねて被っているのは、「実は太子坐像の冕冠は取り外しが可能で、冕冠姿なら至高の聖人、外して巾子冠姿なら偉大な政治家と、2つの側面を合一させた像と言える」のだそうです。

 

素人の私には、500年も後の時代の人が架空の人物のあり得ない姿を造ってしまったのだとしか思えないのですけれどね~(^o^)

 

この像は聖徳太子(アメノタリシヒコ)と会ったこともない500年後の人が造ったものですが、三尊像の釈迦像は、聖徳太子(アメノタリシヒコ)と同時代を生きた止利仏師が、長い年月を共に過ごしたアメノタリシヒコへの強い思いを持って造ったものなのですから、私は聖徳太子(アメノタリシヒコ)は↓や

 
イメージ 2

↓のような人ではなく、

 
イメージ 3

止利仏師が造った↓の釈迦像のような、少し面長で、切れ長の目としっかりとした鼻を持った人だったのではないかと思うのですが(^_-)

 
イメージ 4

 

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