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7世紀の人・本田善光って「ほんだよしみつ」なの?

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2015.8.24 7世紀の人・本田善光って「ほんだよしみつ」なの?

 

pcat2sさまから善光寺のコメントをいただいて善光寺について調べてみた時に開基が本田善光だと知って、「本田善光 Who?」と調べてみたところ、「ほんだよしみつ 信濃国麻績郷の住人 名もなき庶民 伝承上の人物 月蓋長者、聖明王の生まれ変わり」などと記されていたのですが、どれも私には違和感がありました(^o^)

 

「名もなき庶民」って?・・・この人には「本田善光」という立派な名前があるではありませんか(^o^)。名もなき庶民が歴史に名を残すなどということはそもそもあり得なかったのですし、それどころか庶民には明治になるまで姓(せい)などなかったのですから、「ほんだよしみつ」という名前であったなら、この人が「名もなき庶民」だったはずがありません。

 

また、この本田善光はカミサマとして善光寺の本尊の場所より広い御三卿の間に祀られているようですが、名もなき庶民がカミサマとしてホトケサマより大事に祀られているはずがないではありませんか(^o^)。カミサマとして祀られているのは善光が王族であり、この寺を造った人だったからなのです(^o^)

 

「伝承上の人物」って?・・・・この人が開基した「善光寺」が、飯田・諏訪・長野と3つもあるではありませんか(^o^)。実在の人物が実際に造ったからこそ「善光寺」が存在し、「本田善光が開基した」という記録が残っているのではありませんか?

 

「月蓋長者、聖明王の生まれ変わり」に至っては完全に創作のオハナシですね(^_-)

 

ところで先日「被搾取階級の一般人ばかりではなく、搾取階級の王侯貴族にとっても生活はロマンでは成り立たない現実だったのです」と夢もロマンもないことを書きましたが(-_-)、今朝「インス大妃」という韓国歴史ドラマを見ていたら、そういう場面が出てきました(^_^.)

 

李氏朝鮮の5代目王の文宗(ムンジョン)が亡くなって、文宗の息子である世子と4代目王・世宗(セジョン)の息子で文宗の弟である首陽大君(スヤンテグン)の二人が6代目王の地位を争ったのですが、これは叔父と甥の後継者争いであり、馬子(アメノタリシヒコ)が亡くなった後、息子の蝦夷(倉麻呂)と馬子の弟の麻理勢が後継争いをしたのと同じ構図ですね。

 

首陽大君が王位継承の最有力候補であった時には、取り入ろうとする人たちが「門前市をなして」いたのですが、後継争いに敗れた後はもう誰も来ません。「陳情が禁止され、贈り物が届かなくなったので食料庫が底をつきそうだ。キム・ジョンソ(王の側近)は我々を餓死させる気なのだ」というセリフを聞いて、それでは首陽大君の富の元は賄賂だったのか?、これが司馬遼太郎氏がお書きになっていた「中国もしくは朝鮮風の律令制度は、体制そのものが汚職であった」ということなのか?と思い、ロマンでは成り立たない現実の台所事情ということを考えてしまいました(^_-)

 

蝦夷と麻理勢の争いでは麻理勢が殺され、蝦夷(倉麻呂)が王位に就きましたが、世子と首陽大君の後継争いでは、側近たちの工作によって12歳の幼い世子が王位に就き、側近が全ての権力を握ることになりました。これは、不比等が15歳の幼い軽皇子を天皇に立ててすべての実験を握ったのと同じ構図ですね。

 

実は韓国歴史ドラマをいくつか見て、描かれている権力闘争と血統による身分社会の理不尽さにウンザリしてしまったのですが、それでもそれが現実の姿であり、学者さんのお書きになっているつじつま合わせのロマンの歴史解釈書を読むよりも、韓国歴史ドラマを見ている方がその向こうに古代の日本の現実の姿が透けて見えてきて様々な疑問が解消し、不比等が隠した本当の歴史が分かって謎が解けてくるので、最近はそんな視点でドラマを見ています(^o^)




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