2016.4.29 「なんでなんで」
4.28の新聞の「あすへの話題」に宇宙飛行士の山崎直子氏が
4歳の次女の「なんでなんで」攻撃は、無垢な疑問だからこそ、実に本質を突いていて、はっとさせられることばかりだ・・・・一つの疑問はさらなる疑問を呼ぶ・・・・
とお書きになっていましたが、幼い子供の疑問はオトナのジョーシキのお約束の上に立ったものではないだけに、なぜそういうものなのかを考えてもみることもなく「そういうものなのだ」と思い込んでいただけのオトナは、虚を突かれて答えに窮してしまうのですよね(^_-)。でも、子供を納得させられないのであれば、そのオトナのジョーシキは間違っているか根拠のないものなのです。
歴史学者さんたちにとっては『古事記』や『古事記伝』は疑う余地などない学者のジョーシキなのでしょうけれど、そんなジョーシキを持っていなかった私には疑問だらけだったので、私はこのブログで4歳の幼児のように、次から次へと「なんでなんで」攻撃をやってしまったのです(^o^)。
「王様は、バカには見えない布地で作った服を着ているのだ(『古事記』には本当の歴史が書いてあるのだ)」という共通のジョーシキの上に立って「・・・とすればよい」と矛盾のつじつま合わせをしている学者さんたちに、私は「王様は裸なんじゃないの?(そもそも『古事記』はウソを書いているんじゃないの?)」と言ってしまったということになるのでしょうね(^_-)。初めからそんなことを考えていた訳ではなく、納得するために「なんでなんで」と考え続けていたらそうなってしまったのですが・・・・・
「幼児期には誰もが好奇心にあふれている。それがだんだんと、脳も楽をしようとするのか、無意識のうちに疑問を持たなくなっていく。」
そうなんでしょうね。それがオトナになるということのようで、疑問など持たない方が楽なのです。疑問に思ったことを誰かに教えてもらえればいいのですが、自分で考えなければならないとなると面倒だし、疲れるし、変人扱いはされるし、「でたらめもでたらめ!!」などと誹謗中傷はされるし・・・・
『古事記伝』や高名な学者さんたちの解釈を「お説、ごもっとも」と言っていれば楽だし、日本を代表する学者というような評価も得られるようなのに、何を好き好んで、ですよね~<(_ _)>。
そんな風潮のせいか(?)、OECDの2012年国際成人力調査では、日本人は読解力、数的思考力は共に23ヶ国中1位だったけれど、知的好奇心は韓国に次いで低かったのだそうで、日本の20歳のレベルはスェーデンの65歳とほぼ同じだったそうです<(_ _)>。
でも和田昭充先生によれば、「智への挑戦は人類天性のもので、向かうところは森羅万象に遍くとどまることを知らない」そうですから、長いものに巻かれてばかりいないで、オトナももっと「なんでなんで」をやってもいいのではないでしょうか(^o^)。
「なんでなんで」と考えていると、これまでのジョーシキや思い込みをひっくり返すような思いがけないものがいろいろと見えてくるのです\(^o^)/。例えば、なんで山の上に塩湖や岩塩やアンモナイトの化石があるのだろう?と考えていたら世界の高い山は、み~んな元は海底だったことが分かってきたとか、ね(^_-)。
そういえば子供の頃、「はだかの王様」の絵本で王様が白いパンツで歩いている挿絵を見て、なんでパンツだけは「バカには見えない不思議な布地」で作られなかったのだろう?と疑問に思ったことを思い出しました(^o^)。