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Channel: 歴史探訪
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プレートと地震と震源

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2016.4.26 プレートと地震と震源

 

地震は、プレートどうしの押す力またはプレートどうしが引っ張る力によって岩盤にひずみが蓄積し、それが限界に達すると岩石が破壊されて起こるのだそうで、その破壊され始めた場所が「震源」ということのようです。

 

東北地方では、三陸沖に北アメリカプレートと太平洋プレートの境目の日本海溝があり、フォッサマグナより東側の日本(東北日本孤)を乗せている北アメリカプレートに対して、太平洋の広範囲を乗せている太平洋プレートが年間約8cmの速さで東南東から押し寄せ、青森県から千葉県にかけての沖合にある日本海溝を境にして東北地方・関東地方の下に沈み込んでいるため、東日本大震災はその沈み込むプレートの押す力によって蓄積したひずみが原因だったようで、この地震の震源は三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近、北緯38612東経1425136秒)で、震源の深さは 24kmだったそうです。

 

でも震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての幅約200km、長さ約500kmにわたるおよそ10万平方キロだそうですから、これが北アメリカプレートと太平洋プレートの境界でここが動いたので、そのひずみが北緯38612東経1425136秒に集中してここから破壊が始まったということでしょうか。

 

今回地震が起きた熊本を含む西南日本弧が乗っているのはユーラシアプレートだそうで、東北日本とで西南日本では乗っているプレートが違い、フォッサマグナが北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界なので、プレートの動きによってフォッサマグナは年に数cmぐらい横ずれに移動しているのだそうです。

 

三宅島が噴火していた時、「伊豆半島は、昔は島だったけれど日本列島にくっついて半島になった。伊豆諸島も年々日本列島に近づいてきており、いつかは日本列島にくっついてしまう」という解説を見て「まさか!」と驚いたことがあったのですが、あれはプレートテクトニクスによる解説だったのだということが今になって分かりました(^_^.)

 

伊豆半島が乗っていたのは、東北日本孤や西南日本弧が乗っているのとはまた別のフィリピンプレートであり、フィリピンプレートが沈み込む力で上に乗っていた島が日本列島に押し付けられて付加体となり半島になったということだったのです。

 

日本列島はプレートの境目にできた島だから「火山列島」であり「地震列島」だったのですね<(__)>。去年の秋に中央構造線博物館で伺って半信半疑だった「日本列島はプレートに運ばれてきて大陸に押し付けられてできた付加体の集合である」ということがやっと納得できました(^o^)

 

中央構造線博物館で色分けした↓の図を見て「地層はミルフィーユのように重なっているけれど、日本列島そのものもミルフィーユを横にしたみたいだな」と思ったのですが(^_-)、本当にいくつもの層が順次くっついてできていたのですね。


イメージ 1

イメージ 2

中央構造線の通る大鹿村の川原には、北アメリカプレートの石も、ユーラシアプレートの石も、両方があるということのようです(^o^)

 
 この付加体は、元は別々だったものがプレートが沈み込む時の大きな力で押しつけられて一塊になっていただけのようですから、地震で同じ位の大きな力で揺すられれば、元のようにバラバラに剥がれてしまうということなのでしょうね<(_ _)>。その剥がれたりヒビが入ったりしたところが構造線や断層だという理解でいいのかな?
 

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