2016.4.22 チバニアン6 津波と古代の海
東日本大震災の大津波以降、地質調査で貝を含んだ砂の層が出てくると、たいてい「津波の跡である」と解説されるのですが、私はこれも違うだろうと考えています。
一過性の津波はすさまじいエネルギーで地表から全てをさらっていきますが、その際に層になるほどの砂を地上に残すことはないだろうと思いますから、はっきりと砂の層と識別できるほどの量の砂があるなら、その貝を含んだ砂の層は、かつてそこが海底だった時のものなのではないでしょうか。
海の無い県の山梨県の甲府盆地にも、群馬県の下仁田にも厚い砂の層がありますし、埼玉県には「自然砂丘」というものまでありましたが、津波がそんな所まで押し寄せたはずはありませんし、もし津波があったとしても一過性の津波がそれほどに大量の砂を広範囲に残したはずはないだろうと思います(^_-)。
甲府盆地では『甲斐国志』『甲州噺』など近世に成立した地誌類には甲府盆地がかつて湖底であったとする湖水伝説が記されていて、地質学的成因としても地底湖説があるそうですが、この盆地の周辺には塩川・塩崎・韮崎・塩の山・差出の磯・塩津・塩前・塩部・一宮塩田・大塩・上塩後・下塩後・塩沢渓谷などの海や塩に関連する地名がたくさんあり、縄文時代早期からたくさんの人が住み続けていたことが残された遺跡から分かります。これは、ここには塩があったということでしょう(^o^)。
芸術的な縄文土器が大量に出土しているのを見ると、生活にはゆとりがあったと思われますから、当時のこの地は、塩の入手に苦労することもない豊かでとても暮らしやすい所だったのだろうと思います (^o^)。
「塩の山」には岩塩が採れたという伝承も残っていますし、ここには「差出の磯」という名勝地もあったのです(^o^)。
塩の山と塩川
現在の「差出の磯」 これが「磯」には見えませんよね。
また、千葉の養老渓谷から出土した体重3tもあるトドや、埼玉の深谷市から出土した体長12mの巨大ザメや、東京の昭島市から出土したクジラは、たまたま津波によってそんな内陸まで運ばれて化石になってしまったたわけではないでしょうし、養老渓谷がかつては深海だったことはもう分かっているのですしね(^_-)。
物事には全て論理的な因果関係があるはずなのに、それを考えずに目の前の事象だけを見て「砂と貝があった」=「かつての津波の跡である」と短絡するのは思考停止ではないでしょうか(^_-)。
熊本は今日もまだ揺れ続けています(T_T)。M7.3という大きな力が働いて、重い地表があれだけ大きく揺れ動いたのですから、慣性の法則を考えれば揺れはすぐには止まらないでしょうし、14日のM6.7の後、16日になってM7.3の地震があったということは、その間にプレートがさらに動いたということだろうと思うのですが、揺れは徐々に小さくなってきているように見えるので、プレートの動きが止まったのであれば慣性で続いている揺れは収まっていくだろうと思います。このまま終息に向ってくれればいいのですけれど。