2016.4.19 チバニアン3
この養老渓谷は、山と山にはさまれた形状の谷ではなく、千葉県中央部に盛り上がった上総丘陵の侵食谷で、比較的平坦な土地から下に落ち込むように形成された谷なのだそうですが、この養老川の支流の梅ヶ瀬渓谷では、2012年に90万年前に生息していたという、今のトドよりずっと大きい体長5m・体重3tもある世界最大のトドの化石が発見されているそうです。
でも、養老渓谷は沿岸部に近い所ではなく、房総半島のほぼ中央なのですよね。どうしてそんな内陸の海からは遠い丘陵地に巨大なトドがいたのでしょう?
これは、そのトドがいた90万年前にはそこが海辺だったということですよね(^o^)。それではその頃の房総半島の地形はいったいどんな風になっていたのだろう?と考えていて、2011年に鋸山で見た地図を思い出しました。
鋸山
この時は、さきたま古墳群の石室に大量の房州石が使われていたことを知って、その石は房総半島から埼玉まで船で運ばれたに違いないと考えたのですが、その石の産地は鋸山だということが分かったので、房州石とそれを切り出した場所や地形を見てみようと思って、鋸山へ出かけてみたのです(^o^)。
石切り場へのロープウェイの駅には石の切り出し方や運搬の仕方の説明の他に、この石が海底に積もった火山灰からできている凝灰岩であることや、この石ができた房総半島の地形の変遷を説明するパネルも展示してあったので、それを見て房総半島は古代には大部分が海だったことを知り、やっぱり房州石は陸路ではなく舟で行田市まで運ばれたのだと確信することができました\(^o^)/。
2500万年~200万年前の房総半島
200万年前~1万年前の房総半島
1万年前~5000年前の房総半島
でもその当時は、まさかそれほどまでに海ばかりだったとは俄には信じられず、パネルを見ても半信半疑だったのですが・・・・(^o^)。
養老渓谷のある上総丘陵は、300万年前にそれまで深海にあった海底谷から泥砂が東に運ばれて「海底扇状地」が形成され、その後、250万年前から40万年前にかけて砂・泥が堆積して出来たものなので、養老渓谷の地層にはタービタイトと呼ばれる深海の堆積層が見られ、この地層からは天然ガスやヨードを含んだ化石海水が抽出されるので、房総半島は世界でも有数のヨードの産出地なのだそうです。
300万年前には深海であった房総半島の中央部が、90万年前には巨大トドの生息していた海辺になり、、その後、海退や海進や隆起を経て上総丘陵と呼ばれる現在のような地形になったということのようですね(^o^)。