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Channel: 歴史探訪
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山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖12

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2016.1.5 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖12

 

先日「日本人のルーツを探る」番組で、縄文人がどうやって日本列島にやって来たのかを知るために、与那国島で葦舟を作って海に漕ぎ出す実験をしている場面があったのですが、その葦舟はチチカカ湖のトトラの舟によく似ているように見えました(^o^)

 

トトラの舟 

イメージ 1

イメージ 2


テレビに映っていた葦舟はあまり大きなものではありませんでしたが、往時とほとんど変わらぬ生活をしているというウル族の人々が作ったトトラの舟を見ると、あのくらいの大きさのあのようにしっかりした舟を造る技術があったのであれば、かなり遠くまで行くことができたかもしれません(^o^)

 

与那国島の複数の人が漕ぐ葦舟を見て、私は唐古・鍵遺跡から出土した土器片に描かれていた複数のこぎ手が櫂で漕いでいるように見える舟の絵を思い出しました(^o^)。以前その絵を見た時には、当時奈良盆地は海だったから望楼と舟がそこにあったのだろうと考えたのですが、その絵を確かめてみたところ、舟の最前部・最後部が高くせり上がっていて、やはり与那国島の葦舟やチチカカ湖のトトラの舟によく似ているようです(^_-)。一般にはこの舟は木の舟だと思われているようですが、この絵の舟は葦舟なのではないでしょうか? 

 

水田などから出土するのは丸木舟なので、当時の舟はみな木でできていたと考えられているようですが、葦舟は腐ってしまったため出土していないだけで、丸木を薄い板にする道具や技術がなかった縄文~弥生時代の舟は丸木を刳り抜いた丸木舟か、どこにでも豊富に生えていた葦を使った葦舟だったのではないかと私は思うのですが。

 

石斧では平らな板は作れなかったでしょうし、凸凹で隙間だらけの板で舟を作ったのでは水が入ってきてしまったでしょうし<(_ _)>、丸木では木の太さや長さ以上の舟は作れませんし、船首や船尾が高く反り上がるような形は削り出せませんから、木ではあの絵のような形の舟は作れないだろうと私は思います(^_-)

 

ウロス島では、トトラを積み重ねて作られた浮島は湖水によって下からだんだんに腐敗してくるので、2週間おきに新しいトトラを重ねていかなければならないそうですから、葦で作られた古代の舟は短期間で腐って土に帰ってしまったと思われますが、葦舟は聖書にも古事記にも登場するように世界中で最も古くから作られていた舟であり、チチカカ湖では現在もトトラの舟が使われていますし、ティグリス川、ペルーの海岸線、アマゾン川、ラプラタ川、ナイル河、ヴィクトリア湖などではつい近年まで葦舟が使われていたそうです(^o^)

 

トトラの浮島 

イメージ 3

手前の舟は観光用のトトラ舟で、浮島には8世帯ほどが住んでいるそうです。

 

材料の調達し易さや、用途に合った大きさの舟を作ることが可能であることなどを考えると、丸木舟は潟の移動や作業用の舟で、航海に使われていたのは漕ぎ手が大勢乗れて、水や食料も積み込める葦舟だったのではないでしょうか(^o^)

 

葦の茂る「葦原中国」だった日本では葦を、トトラの茂るティワナクではトトラを生活全般に利用していたことも、辿って来た歴史も、古代の日本の民とアンデスの民はよく似ていたようです(^o^)

 

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