2015.12.31 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖9
権力構造の成り立ちや権力を維持する方法はどこの国でも似たようなものだったようなので、プレ・インカのティワナク時代からインカ帝国への歴史も同じような経過を辿ったのではないか?と調べてみると、
インカ帝国は、最盛期には80の民族と1600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていたアンデス文明の系統における最後の先住民国家である。インカ帝国は、被征服民族については比較的自由に自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていた。(wikipediaより)
だそうですから、やはり南米でも同じように、権力構造はたくさんの小部族(民族)国家から始まったようです。400年頃からティワナク文明が広範囲に広がっていったのは、その頃にティワナクから200年代の日本での大国主に相当するような強力な王が出て広範囲の部族の連合を作り、各々の部族の自治を認めながら全体としては合議制をとる大国主体制のような、緩やかな連合体を作りあげたからではないでしょうか(^o^)。
日本では、諏訪大社の神長官家が78代に渡って伝えてきたように「それぞれの自治を認める緩やかな連合体」を大国主が作り上げた200年代の半ば頃から、連合傘下の各地で一斉に大国主の箸墓古墳に倣った前方後円墳がその三分の一のスケールで造られるようになったのと同じように、400年ごろからティワナクの傘下に入った現在のチリ・アルゼンチン・ボリビアの部族国家にティワナク様式の文化が広がっていったのではないかと思います。
諏訪大社の神長官家に伝えられてきた内容や、箸墓古墳が卑弥呼の墓ではなく大国主の墓であることについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」をご参照ください。
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1438年に即位したパチャクテクは壮大な遠征による拡大を始め、アンデス山脈のほぼ全て(おおよそ現代のペルーとエクアドルに当たる)を制圧し、インカ帝国はその支配をチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広げていったのだそうです。
これは「帝国主義」というものなのかな?と調べてみたら、「帝国主義」とは歴史学では「19世紀中期以降の移民を主目的としない植民地獲得を指して使われる用語」だそうですから、15世紀のインカは帝国主義でも帝国でもないようですが、どうして「インカ帝国」と呼ばれているのでしょうね?また疑問が増えてしまいました<(_ _)>。
ところで、先日のアンデス山脈に自生するという猿の顔にそっくりな蘭の花にも驚いたのですが(^o^)、チチカカ湖のウロス島は、島自体も家も船もすべてがトトラというフトイの一種の植物で造られているのだそうです。
このトトラは、「湖上の民・ウル族の暮らしを全面的に支えている。ウル族はトトラを刈り取って乾燥させ、その束を水面上に大量に積み重ねることによって浮島を作り、トトラで葺いた家をその上に建てて、水上の暮らしを営む。家の傍らに畑をもつ際にはトトラの根がその肥料にもなる。漁に用いる舟や移動用のボートもトトラから作るほか、食材、お茶、燃料、薬、身装品(帽子など)など、生活のあらゆる場面でトトラが用いられている」のだそうで、このトトラで造られた浮島には学校・教会・市役所・銀行などの他、ガソリンスタンドやサッカー場まであるのだそうです。火事になると島ごと燃えてしまうそうですが・・・
アンデスは、これまで私が想像してみたこともなかったようなワンダーランドのようです!
葦(葭)は、今の日本では屋根材や建具や葭簀などに使われていますが、古代には建材や舟や楽器などあらゆるものに使われていたようですから、ウル族にとってのトトラは古代日本人にとっての葦のようなものなのでしょうね。
なんとか投稿が2015年中に間に合ったようですが、謎解きはまだ2016年も続きそうな気配です(^o^)。皆さま、どうぞよいお年を!