2015.12.25 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖6
↑の模式図によれば、日本に人類が辿りついたのは今から4~3万年前、南米へ辿りついたのは1万2000年前頃のようですから、諏訪湖周辺の遺跡とチチカカ湖周辺の遺跡では2~3万年のタイムラグがあるようです。
現人類の発生は、この模式図では10万年前となっていますが、現在は20万年前まで遡っているようですから、世界に拡散していった時期もこの模式図より繰り上がっているかもしれません。実際に中国湖南省の洞窟から12万~8万年前と推定されるホモ・サピエンスの歯の化石が発見されたそうですし(^o^)。
けれど拡散していった経路や順番は多分変わらないでしょうから、プーノに現人類が残した遺跡は諏訪湖の遺跡よりずっと新しい時代のものであって、諏訪湖周辺の遺跡よりも古いものはないのでしょうね。諏訪湖に来たホモ・サピエンスよりも前に南米に行ったホモ・サピエンスはいないようですから(^_-)。
そこでプーノのシユスタニ遺跡とはどんなものでいつ頃造られたものなのかを調べてみると、この遺跡はプレ・インカ時代に造られた石作りの墳墓群(古墳)なのだそうです。
シユスタニ遺跡の墳墓
プレ・インカ時代というとティワナク文明の頃ということでしょうか?インカ帝国の前身のクスコ王国を樹立したマンコ・カパックは、この冊子によれば1200年頃の人だそうですから、シユスタニ遺跡にある墳墓は、たぶん紀元前後から13世紀頃までの間に造られた墳墓なのでしょうね。この墓は、ティワナク出身だという「伝説の王・マンコ・カパック」のお墓なのでしょうか? 王のお墓は、どこでもその王に一番ゆかりの深い所に造られていますものね(^o^)。
ホモ・サピエンスによる後期旧石器時代は3万年前~1万年前で、新石器時代の文化は紀元前8500年頃から現れているそうですが、アンデス文明は紀元前7500年ころに始まったと考えられているそうですから、南米には旧石器時代の遺跡はなく、一番古いものでも新石器時代からのものなのでしょう。20万年前にアフリカから始まったホモ・サピエンスのグレート・ジャーニーは、日本が縄文時代だった頃にやっとアンデスまで到達したようです(^o^)。
シユスタニ遺跡は石作りの墳墓群だそうですが、造られたのは紀元前後~13世紀の間のようですから、日本では王の墓として古墳が造られていた頃ですね。古代には中国でも朝鮮半島でも日本でも、統一王朝を作るような強い王が出てくると、その強力な王権の象徴として巨大な墳墓が造られていましたから、このシユスタニ遺跡の墳墓もそういう王の墓なのではないでしょうか(^o^)。
ところで、アンデスに文明が始まったと考えられている紀元前7500年ころの日本は縄文時代ですが、その頃は気温が今よりずっと高くて、北海道や青森や八ヶ岳辺りが温暖湿潤の地だったようですし、アンデス山脈もひょっとするとまだ4000mも隆起していなかったかもしれません(?)から、チチカカ湖周辺の気候や環境は今とは全く違っていたのかもしれません(^o^)。
チチカカ湖には「ティキーナの海峡」という場所があるようですが、実際に「海峡」という言葉が残っているのだとすれば、何万年か前に人類が南米に到達した頃にはチチカカ湖はまだ海で、湾か入江だったのかもしれませんね(^_-)。