2015.12.22 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖2
プレ・インカの文明であるティワナク文明の起源はまだはっきりとは分かっていないのだそうですが、ティワナク独自の文化が形成されたのは紀元前1~2世紀ころからであり、その文化が広範囲に広がり始めたのは紀元後400年頃からと考えられているそうです。
歴史に創作(ウソ)を加えて天津族の王朝に都合良く再編し、虚実をないまぜにして「神話」に仕立て上げた『古事記』の中で、最も肝心なのは「天孫が降臨した(天津族が渡来してきた)頃にはすでにヤマトには大国主の君臨する国があった」「安芸国・吉備国・紀国・常陸国など、天津族が東征に際して戦ったと記されている九州~新潟・福島までの小部族国家の国主(王)達はみなヤマトの大国主(大王)の連合の傘下にあった」ということであり、「天津族は大国主とその連合を倒して天津族の王朝が支配する統一国家を作った」ということだと私は思うのですが、この『古事記』の記した(隠した)歴史を荒唐無稽な天上のカミサマの話として解釈した本居宣長の『古事記伝』を信奉する学者さんたちは、天上の高天原にいたというアマテラスの存在は信じても、地上の葦原中国にいて天津族に国を譲らされた(奪い取られた)大国主は実在の人物ではないと考えているようです(-_-;)。
実際は、「アマテラス」は天皇家を神の子孫とするためにその祖として『古事記』に創り出された架空の人物であって、葦原中国にいたスサノオノミコトの子孫の大国主たちの方が400年頃まで九州~新潟・福島のクニグニの盟主として「大国主」の地位に就いていた実在の人物だったのですけれどね(^_-)。
架空の人物であるアマテラスにはお墓はありませんし、実在する子孫もいません(子孫だと称する人はいます)が、スサノオの子孫の大国主達は実在の人物ですから、そのお墓は巨大な古墳として残されていますし、子孫は現在も存在していて先祖の物語を伝え続けています。
ティワナク文明が始まったとされる紀元前1世紀~紀元後4世紀頃は、日本ではこのスサノオの子孫達が大国主として小部族国家群の緩やかな連合体を作っていた頃で、前方後円墳などの大国主の文化が一斉に各地方に伝わっていった時期であり、ティワナク文明が広がったという400年頃(4世紀末~5世紀初め)は、東征してきた天津族が、最後の大国主となったヤマト(葦原中国)のトミノナガスネヒコを倒して崇神王朝による統一国家を作り、九州から新潟・福島辺りまで支配を広げていった頃です。
そして朝鮮半島では、やはり林立していた多くの小部族国家群が統合されて高句麗・新羅・百済という三つの統一国家となり、やはりそれぞれの国が一つの王朝によって支配されるようになっていた頃なのです。
歴史を俯瞰すると、人類が拡散していった時期によってタイムラグはあっても、人間のしていたことはどこでもあまり変わらず、辿った歴史も変わらなかったようですから(^_-)、紀元前1世紀から紀元後4世紀頃のティワナクも同じような経過を辿っていたのではないでしょうか(^o^)。
400年頃からティワナク文明が広範囲に広がり始めたというのは、その頃にティワナクに大国主のような強力な王が出て、周辺の小部族を統合していったということではないかと思います。文化が広がったということは、その文化を持った人たちが広がっていったということですものね(^_-)。
400年頃までの大国主による支配体制と、天津族の東征が『記紀』が記した紀元前600年代のことではなく、実際は紀元後400年頃のことであったことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」をご参照ください。
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