2015.12.14 北海道の縄文遺跡12 「氷期と間氷期」
箱の中から2010年の新聞のコラムの切り抜きが出てきました。「氷期と間氷期」というコラムだったのですが、あまりよく理解できなかったので、いつかは分かるようになるかもしれないと思って切り抜いて箱に入れてあったのです(^o^)。
読み直してみたら、プレートテクトニクスを使っての説明だったのですが、当時の私はこの理論を全く知らなかったこともあって、書いてあることが理解できなかったのです<(_ _)>。
このコラムには、白亜紀には南半球の中緯度にあったインド亜大陸が、北上して5000万年前にアジア大陸に衝突しヒマラヤ山脈が隆起し始めたこと、2000万年前にはアジア大陸の東端が割れ、1500万年前頃から日本海が急拡大して日本列島が独立したことが記されていました。このことに関しては、プレートテクトニクスを知った今は理解することができました(^o^)。
このコラムには、500万年前に人類の祖先がアフリカで誕生した頃から、多くのプレートが南極大陸を離れて北上する運動が続いていて、そのため現在は陸地が北半球に圧倒的に多く分布するようになったとも記されていましたが、それも理解することができました。
すると、白亜紀後期に岩手県に熱帯植物が茂っていたのは、ひょっとすると現在の岩手県の辺りが熱帯気候になっていたのではなく、「現在岩手県になっている辺り」が白亜紀後期には赤道に近いところにあったということなのかもしれませんね。陸地は南半球から北半球へと北上し続けているということのようですから(^o^)。
またこのコラムによると、地球は公転軌道に対して23.4度傾いて自転しながら楕円軌道に沿って太陽の周りを廻っており、その公転の軌道も定期的に変化しているので、北半球の冬が太陽から遠くなると大地が凍り始めて氷期となり、逆の時は温暖化して間氷期となって氷期と間氷期を繰り返していたのだそうで、最近の氷期は1万年前に終わり、その後気温が上昇するとともに海水面が120mも上昇し、まだ上がり続けているのだそうです。
確かに温暖化によって海面が上がってきていることが現在大きな問題になっていますが、1万年も前から120mも上がり続けていたのであれば、なぜ今までは問題にならなかったのでしょう?
氷期が1万年前に終わって間氷期に入り気温が上昇しているのであれば、なぜ現在の岩手県や青森県や北海道には雪が多くて5000年前の縄文時代より寒いのでしょう?
間氷期で気温が上がり、温暖化しているさなかのはずなのに、なぜ江戸時代後期には淀川が凍りつくような小氷期になって人口が減っていたのでしょう?
このコラムには「縄文人の住む日本列島にも氷期と間氷期が繰り返していた」と記されていたのですが、それでは1万年前に氷期が終わって間氷期に入ったのではなく、縄文時代には間氷期と氷期が短い周期で繰り返されていたということなのでしょうか?
でも、もしそうであれば、氷期には海面が下がったはずですから、1万年前から120m以上も海面が上がり続けてきたはずはないと思うのですが?
このコラムは「国祭高等研究所所長」の肩書をお持ちの方がお書きになったものでしたが、ここに記されていたことは、5年経った今読み返してみても、まだ私には不可解で納得できないところが多いのです<(__)>。
やはり納得できる答えは、肩書や権威をお持ちの方の説を鵜呑みにせずに自分で考えてみるしかないようです(^_-)。