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鵜野讃良皇女と安倍内親王22 安積親王は本当に脚気?

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2019.8.12 鵜野讃良皇女と安倍内親王22 安積親王は本当に脚気?
 
王位を巡っての陰謀と言えば、韓国歴史ドラマには毒薬がよく出てきますよね。暗殺の場面でも、身分の高い人の処刑の場面でも、間者が捕まった場面でも頻繁に毒薬が出て来るので、毒殺ってそんなによく使われていた手だったのかな?と疑問に思っていたのですが、ロシアでは選挙があると対立候補が毒を盛られるようですし、イギリスでロシアのスパイが毒殺された事件もありましたし、金正恩氏の異母兄の金正男氏が空港で毒殺された事件もありましたから、ロシアや北朝鮮では今も毒薬や毒ガスなどによる毒殺がよく行われているようです<(_ _)>
 
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金正男氏の事件と言えば、これも異母兄弟間の「委員長」とか「総書記」とかという名前の王座の継承に絡むもののようでしたが、本当にニンゲンは「王制」とか「支配階級」とかというような不合理なものを作り出してからこの方、自分の利益の最大化を図り既得権益を守るために同じことを繰り返してきたようです(T_T)。自分が王座に就いたら、兄弟や政敵はみな殺してしまわなければ安心できないということでしょうか<(_ _)>

 
安積親王は、恭仁京を出て難波宮へ向かう途中で急に具合が悪くなって2日後に亡くなってしまったそうで、「脚気で死んだ」とされているようですが、これは状況から見て毒殺だったのではないでしょうか。16才の若い皇子が2日後に亡くなってしまうほどに病状が重かったのであれば、そもそも恭仁京から難波宮への移動などしなかったはずですから、恭仁京を出発するまでは健康には全く問題がなかったのだろうと思うのですが。
 
藤原腹ではなく県犬養腹の安積親王は、藤原一族の野望にとって最も危険で邪魔な存在であったことは明白ですから、聖武天皇が「藤原氏が根を張っていた平城京」から「諸兄の領地であった相良郡の恭仁京」へ遷都したのは、安積親王を藤原氏の暗殺から守るためだったのだろうと思うのですが、その安積親王は、恭仁京を出て難波宮向か途中で毒を盛られてしまったようです(T_T)
 
でも安積親王は、なぜこの時期に比較的安全だったと思われる恭仁京を出て難波宮へ向かおうとしていたのでしょうね?
 
聖武天皇は恭仁京から難波宮へ遷都したとされていますが、難波宮からはその月のうちに紫香楽宮へ移ってしまったようですし、難波も紫香楽も「京」ではなく「宮」とされていますから、これは天皇が宮を遷した(居場所を変えた)だけであって、都そのものをそっくり移す遷都ではなかったのではないでしょうか。
 
740.12744.2 恭仁京
744.2 難波宮
744.25 紫香楽宮
745.5~ 平城京
 
 
ネコビタイ便り ドリアンの芽その後
 
葉が出てきそうにもなかったドリアンの芽ですが、3日留守にしていて帰ってきたら、緑色のものが出ていました(^o^)。枯れていたのではなかったようです。もう一個のもっと貧弱でとても生きているようには見えなかった方にも、小さな小さな緑色の点が見えているのですが、ドリアンの芽ってこのようなものなのでしょうか?

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「30mもの大木になってトゲトゲの大きな実をつける木なのに、これがその芽?」と意外に思うような小さな小さなものです。
 

 

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