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鵜野讃良皇女と安倍内親王21 異母兄弟の謀反

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2019.8.8 鵜野讃良皇女と安倍内親王21 異母兄弟の謀反
 
小説『ワカタケル』では、夫を任那に送られてその間にワカタケル后にされ、ワカタケルの子を生んだ吉備の稚媛は、ワカタケルが亡くなると息子の星川を唆して謀反を起こさせたことになっていました。つまり白髪皇子の異母兄弟が王位を狙って謀反を起こしたわけですね。
 
雄略天皇は架空の人物ですから星川皇子も架空の人物で、この星川皇子の謀反は全くの作り話ですが、異母兄弟による謀反は『記紀』には繰り返し出てきます。王に複数の妻がいて息子も複数いたのであれば、王位継承のたびに常に継承争いが起きていたのでしょうね。

息子たちの血統は同じなのですからみな王位を継ぐ資格はあるわけで、王になれれば全てを手にすることができ、その息子を生んだ母の一族も繁栄することができますが、もし王になれなければ、王位を狙う可能性のある危険分子として殺されてしまうかもしれなかったわけですから(T_T)
 
王に複数の妻がいて複数の息子がいる限り「王位を継ぐのはどの母のどの息子か、どうすれば自分に都合の良い息子に継がせることができるか」ということが、自分の利害に直結する王族や貴族の最大の関心事であって、韓国歴史ドラマが描いているのはみなそのことばかりのようです。
 
実の兄弟でも異母兄弟でも、複数の息子がいれば「謀反の可能性」はいつでもあったわけですから、例え王位を狙う意思や狙ったという事実がなくても、「謀反を起こそうとした」ということはいつでも口実になり得たわけで、中大兄や不比等や藤原一族はそれを利用してありもしない謀反を密告させては次から次へと政敵を殺していたのですね<(_ _)>
 
『記紀』の作り話や密告させたデッチあげの謀反だけではなく、実際にも王位を巡る異母兄弟間の争いは多かったようです。ヤタガラスになって天津族の手引きをした葛城のアジスキタカヒコネは、天津族に滅ぼされて最後の大国主となったナガスネヒコの跡を継ぐことになっていた息子の異母兄弟でしたし、オオヒコノミコトが鎮圧した「タケハニヤスヒコの謀反」のタケハニヤスヒコも崇神天皇の異母兄でしたし。
 
(『古事記』では「神武天皇」と騙られている)崇神天皇が亡くなった時、王位を狙って崇神(神武)の皇后イスズヒメ(イスケヨリヒメ)が生んだ3人の息子を殺そうとしたのも、東征前の九州時代からの妻だったアヒラヒメが生んだ異母兄のタギシミミノミコトでしたし。
 
その異母兄の動きを察知し、先手を打ってこのタギシミミノミコトを殺して崇神天皇の跡を継いだのが『記紀』では神沼河耳命(綏靖天皇)と騙られている垂仁天皇なのですが、この天皇の時には、皇后の兄が妹を唆して天皇を殺し、王位に就こうとしたようです。
 
『記紀』は「垂仁天皇の皇后サホビメの兄のサホビコが、妹を唆して天皇を殺させようとしたけれど天皇に気付かれて失敗し討伐されたというオハナシに仕立てています。このサホとは佐保川の流域のようですし、妹のサホビメは「皇后」になっているのですから、サホビコは佐保川の流域の辺りを領地としていた王族だったのでしょうね。同母から生まれた妹を妻にすることはできませんから、このサホビコは垂仁天皇の異母兄弟でサホビメは異母妹だったのかもしれません。
 
『記紀』が記した作り話の「紀元前の神武天皇の東征」が、実際は「4世紀末の崇神天皇の東征」であり、神武天皇の跡を継いだ綏靖(すいぜい)天皇が実際は垂仁(すいにん)天皇であることについては、『古代の地形から『記紀』の謎を解く』をご参照ください。
 
世界中どこの歴史を見ても、学者さんたちが信奉する『記紀』の「大国主の国譲り」のように国を譲った人も、ウジノワキノイラツコのように「自殺してまでして兄に王位を譲った人も実際にはあり得ず、国を手に入れ王位に就くためなら、裏切りでも恫喝でも騙し討ちでも毒殺でも謀殺でも暗殺でも何でもやっていたというのが現実の歴史のようです<(_ _)>
 
 
 

 

 


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