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鵜野讃良皇女と安倍内親王

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2019.7.17 鵜野讃良皇女と安倍内親王
 
持統・元明・元正の3人の「女帝」には「天皇陵」も造られていませんから、実際は天皇にはなっていなかったか、もしなっていたとしても実権のない名目だけのものだったのではないかと思うのですが、
 
安倍内親王(孝謙・称徳天皇)は、749年に父・聖武天皇の譲位を受けて聖武天皇を後見とし、聖武天皇の信頼の厚かった吉備真備と橘諸兄に補佐された正真正銘の日本初の女帝だったのです。
 
ちなみに36年間も在位していたとされている推古女帝は、架空の敏達天皇の皇后だったとされている架空の天皇ですから、推古女帝にも「天皇陵」は造られていないので、宮内庁は息子の竹田皇子の墓に合葬されているということにしているようですが、『日本書紀』は、推古女帝の皇太子は「聖徳太子」だったとしていますから、竹田皇子は皇太子でさえなかったのですよね。
 
でも、一方では王位に就くためには身内同士でさえ激しい殺し合いをし、持統天皇は我が子を天皇にするために甥の大津皇子を殺したとしながら、一方では推古女帝は自分の息子がいるのに甥の「聖徳太子」を皇太子にしたとしているのは矛盾していますよね。
 
『記紀』を信奉してやまない歴史学者さんたちは何も疑問には思わないようですが、『記紀』信奉というフィルターを通さずに、普通に当たり前に考えると作り話の『記紀』は矛盾だらけなのです(^_^.)
 
門外漢の私がその矛盾に気が付いてしまったのは『記紀』が「男の論理」書かれていて、歴史学者さんたちがそれを「男の理屈」で解釈していたからかもしれません(^_-)
 
例えば「浮気は男の甲斐性」だというのは、ご都合主義の「男の理屈」であって「論理的な理屈」ではありませんから、男同士は「そうだ、そうだ」と盛り上がるかもしれませんが、女は「なるほど、そうか」とは思いませんよね(^_-)
 
なぜ女帝には「天皇陵」がないのだろう?と私は疑問に思ったのですが、「男の理屈」では、男の付属物にすぎない女はたとえ天皇であっても夫か息子の墓に入るのが当然で、女のためにわざわざ墓を造ったりしないのは当たり前だということなのでしょうか?
 
でも、宮内庁は箸墓古墳を女王でも天皇でもなかった、しかも古墳時代よりずっと前の紀元前の倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)という「女」の墓だとしていますし、学者さんたちは3世紀の卑弥呼という女王の墓だとしているのですけれどね~。

宮内庁が紀元前の倭迹迹日百襲姫命の墓だとしている箸墓古墳
イメージ 1
 
架空の舒明天皇の皇后で、重祚して2度も王位に就いたことにした皇極(斉明)天皇にも「天皇陵」はないようで、大津皇子とその後を追って死んだ正妃の山辺皇女を葬った牽牛子塚古墳を「斉明天皇陵」だということにし、この古墳には石室が2つあることについては娘の間人皇女を合葬したのだというオハナシを作ってつじつまを合わせたようです。私は娘を合葬するために初めから墓室を2つ造っておいたりするだろうか?と疑問に思ったのですが(^_-)
 
そういえば、架空の人物である「聖徳太子」も、母や妻の一人と同じ日に死んでしまったので、3人一緒に葬られたことになっているようですね。



 
 
 

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