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平野塚穴山古墳の被葬者は誰か?12

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父の天智天皇によって祖父を殺され、そのために幼くして母を失った鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)は、13才で同母の姉の太田皇女と共に大海人皇子に嫁がされたのだそうです。天智天皇は、自分にいい感情を持っていなかった娘たちを厄介払いしたということでしょうか<(_ _)>
 
『記紀』では「中大兄と大海人は舒明天皇・皇極天皇を両親とする実の兄弟で、中大兄が兄である」と騙られているので、中大兄が自分の実の弟に自分の娘たちを4人も嫁がせたという不自然で(歴史学者ではなく一般人の)私にはとうてい納得し難いオハナシになっているのですが・・・・
 
また、系図上では不比等は中臣鎌足の子だということになっていますが、不比等の母で鎌足の正妻の鏡女王は、クーデター・乙巳の変(大化の改新)の際に中大兄から鎌足に下賜された中大兄の妻の一人で、不比等は、実際は中大兄の子だったようです。そうでなければ「出自・血統」のみが根拠だった時代に不比等が「位人臣を極める」地位に就いたり、その子孫たちが娘を何人も天皇家に入れた上に皇后に立てたりすることなどできたはずはありません。数多い天皇の妻たちのうちで、「皇后」になれるのは王族の血を引く娘だけだったのですから。昭和になって初めて民間出身者が皇后になったということは、昭和までは、側室にはなれても皇后になれるのは皇族出身者だけだったということですよね。
 
鎌足の子孫で「藤原氏」を名乗ったのは不比等の子孫だけであることから見ても、鎌足が「藤原」の姓を賜ったというのはウソで、藤原氏と中臣氏は全く別の氏族であったことが分かります。鎌足の子孫は今に至るまで「藤原氏」ではなく「中臣氏」で皇后を出したことはありませんし、鎌足の娘の一人である五百重娘(いおえのいらつめ)は不比等の妻になって藤原麻呂を生んでいますしね。

 
「同盟の証や褒賞として自分の妻や娘の一人を下賜する」ことはよくあったようですから、当時の「女」とはそういう存在であり、自分の利益や勢力拡大のために「男」が自分の一存で他人に与えたり、嫁がせたり、別れさせたり、売ったりできる「モノ」だったのです。これは戦前まで本人の望まぬ政略結婚や、酒代や借金のために娘を売るというような形で続いていましたし、「女房を質に置いてでも・・・」というような言い方にも残っていましたよね。
 
そういったことに違和感や疑問を持ったのは私が「女」だからで、そういったことを当然として育ってきた「男」の歴史学者さんたちにはなんの違和感もなかったようですが<(_ _)>、それなのに、最高神であるアマテラスがそんな「モノ」としか見ていなかった女であり、皇后や皇太子の妻や姉が最高権力者である天皇になっていたというような作り話にも何の違和感も疑問も持たないようです。
 
でも、「女三界に家なし(女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないから、一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない)」とされていて、女は男の付属物かモノとしか見られていなかった時代に、女が女王や女帝になって男の上に立ち、男に命令し、思い通りに動かすなどということがあり得たと思いますか?
 
今日の『ワカタケル』では、アマテラスはこの国の始まりの女王であり卑弥呼もこの国の女王であって、女王の時代には国は穏やかに栄えていたのだから、と大后のワカクサカがワカタケルに譲位を迫って自分が女王になろうとしたためにワカタケルに斬り殺されたというオハナシになっているのですが、池澤氏は「アマテラスは高天原にいたカミサマではなく、普通のニンゲンだった」とお考えなのでしょうか? でもそれでは、アマテラスが最高神であるというオハナシも、「天皇家はその最高神の子孫だから絶対不可侵なのである」ということで成り立ってきた天皇制の前提も崩壊してしまうと思うのですが、池澤氏はこの国の歴史はカミサマから始まったと言いたいのでしょうか?それとも普通にニンゲンから始まったと言いたいのでしょうか? 

 

 


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