万葉集の草壁皇子の死を悼んで詠まれた歌には『日本書紀』が記さなかった(隠した)草壁皇子の墓は佐田にあることが記されていましたから、高市皇子の死を悼む歌にも墓の場所が分かる言葉があるのではないかと考えて調べてみると、柿本人麻呂が高市皇子の死を悼んで作った長大な挽歌があることが分かりました。
その歌は↓のような万葉仮名で記された長大なもので
高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麻呂作謌一首并短謌
挂文 忌之伎鴨 (一云 由遊志計礼抒母) 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛劔 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜 (一云 掃賜而) 食國乎 定賜等 鶏之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡 (一云 掃部等) 皇子随 任賜者大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻弖 吹響流 小角乃音母 (一云笛之音波) 敵見有 虎可叨吼登 諸人之 恊流麻弖尓 (一云 聞或麻弖) 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之 (一云 冬木成 春野焼火乃) 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓 (一云 由布乃林) 飃可毛 伊巻渡等 念麻弖 聞之恐久 (一云 諸人 見或麻弖尓) 引放 箭之繁計久 大雪乃 乱而来礼 (一云 霰成 曽知余里久礼婆) 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相競端尓 (一云 朝霜之消者消言尓 打蝉等 安良蘇布波之尓) 渡會乃 齊宮従 神風尓 伊吹或之 天雲乎 日之目毛不令見 常闇尓 覆賜而定之 水穂之國乎 神随 太敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代尓 然之毛将有登 (一云 如是毛安良無等) 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎 (一云 刺竹 皇子御門乎) 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 埴安乃 門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 烏玉能 暮尓至者大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未不盡者 言左敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文
訓読も難解なため、その解釈も人によっていろいろで定まっていないようですが<(_ _)>、解釈が様々であるのは、高市皇子の宮や墓がどこにあったのかが分かっていないことによるのかもしれません。高市皇子の墓はキトラ古墳・高松塚古墳・久渡古墳群の2号墳など、いろいろな説があるようですから。
でも、『日本書紀』には架空の天皇のありもしない宮(皇居)や墓がみな記されているにもかかわらず、天武天皇の長子で皇位継承第3位の資格を持ち、草壁皇子・大津皇子が亡くなった後は当然皇位に就くべき地位にいて、実績も手腕もあった高市皇子の宮や墓が『日本書紀』に記されていないということは、『日本書紀』を作った人たちが意図的に隠したということなのではないでしょうか。
『日本書紀』が記した架空の天皇たちの宮はこれまでに一つも発見されていないのです。皇居が見つからないというそのこと自体がその皇居の主であった天皇は存在しなかったことを示していると私は思うのですが(^o^)。
この人麻呂の挽歌には「高市皇子尊」「後皇子尊」などの尊称が使われているため、高市皇子は立太子されていたのではないかとの説もあるそうですが、『日本書紀』のこの辺りの記述には、本当にウソや隠し事が多いのです。謎が生じているのはそのためで、謎は「古代史のロマン」ではないのですよね。