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牽牛子塚古墳と平野塚穴山古墳

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2019.7.2 牽牛子塚古墳と平野塚穴山古墳
 
『記紀』を信奉する学者さんたちは、牽牛子塚古墳の被葬者は斉明天皇と娘の間人皇女以外には考えられないとしていて、この間人皇女については、中大兄(天智)が「645年の大化の改新」と騙られているクーデターの後668年まで即位できず、叔父が天皇になったり母が重祚したりしていたのは、中大兄が「同母の実の妹であり叔父の妻でもあった」間人皇女と恋仲だったためだという不自然すぎるオハナシ(解釈?)が作られているようです。
 
もっともらしいオハナシで空白を埋めたつもりなのでしょうけれど(^_-)、それにしても『記紀』を作った人たちは近親相姦だとか姦通だとかというオハナシが好きだったようです。でも、作り話はもっともらしくしようとすればするほど不自然で矛盾だらけのオハナシになってしまうようですね(^o^)
 
牽牛子塚古墳は天武天皇陵である野口王墓古墳の二分の一の大きさなのですから、この古墳は学者さんたちがいうような「天皇陵」ではないと私は思います。

野口王墓古墳 八角墳 5段築成  高さ9m 東西径58m、南北径45
牽牛子塚古墳 八角墳 3段築成  高さ4.5m 墳丘対辺長約22m

被葬者は、架空の斉明天皇と娘の間人皇女ではなく、不比等の謀略によって自決に追い込まれた大津皇子とその後を追った正妃の山辺皇女でしょう。
 
そして野塚穴山古墳は、築造時期も、規模も、二上山の凝灰岩の張り石で装飾されていたことも、夾紵棺の破片があったことも、牽牛子塚古墳によく似ているのですから、それならこれらは相互に深い関係のある人たちの墓で形も同じなのではないかと考えるのが普通なのではないでしょうか?ほかに張り石の装飾のあることがすでに分かっている野口王墓古墳・牽牛子塚古墳は八角形墳であることが分かっているのですから。
 
天武天皇には大勢の皇子がいましたが、野口王墓古墳(天武天皇陵)が八角形に造られているのですから、その皇子たちの墓も当然八角形に造られていたはずです。
 
皇太子だった草壁皇子の墓である束明神古墳八角形墳であることが判明していますし、
 
束明神古墳
イメージ 1

 
継承第2位だった大津皇子の墓である牽牛子塚古墳も八角形墳であることが判明しています。
 
牽牛子塚古墳
イメージ 2
 
それならば牽牛子塚古墳によく似ていて、2530m四方の基壇という野口王墓古墳(天武天皇陵)の二分の一の大きさに造られたと思われるこの平野塚穴山古墳の被葬者も、天武天皇の皇子の墓なのではないでしょうか?
 
 

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