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平野塚穴山古墳

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最近は新しい発見が続いているようで、先日は「奈良県香芝市の国史跡・平野塚穴山(ひらのつかあなやま)古墳(7世紀後半)で、古墳の斜面に凝灰岩の石材が張り巡らされていたことが分かった」という記事がありました。
 
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記事によると、この装飾用とみられる石は二上山の凝灰岩で、これまでにこのような装飾石で覆われた古墳は、牽牛子塚古墳と野口王墓古墳の二つだけしか知られていないため「王族の墓である可能性が高まった」のだそうです。
 
でも、そもそも大きな古墳は王族のためにしか造られていないと私は思うのですが、学者さんたちは誰でも大きな古墳に葬られていたと考えているのでしょうか? 

 

この平野塚穴山古墳は2530m四方の二段式の方墳で、高さは5.4mだそうですが、この大きさは、府中市の熊野神社古墳(23m四方)や昭和天皇の武蔵野陵(27m四方)と同じくらいの規模ですし、漆塗りの「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片が見つかっているそうですから、7世紀後半という築造時期とその規模から考えて方墳ではなく、方形の基壇の上に造られた八角形墳で、被葬者は「王族の可能性がある」のではなく、間違いなく王族、それも天武天皇にごく近い王族であろうと思います(^o^)
 
先日killyさまがコメントに「若い人には八角形墳は常識になっているようです」とお書きになっていたので、誤った思い込みも少しずつ是正されてきたのかな?と思ったのですが、それはプレートテクトニクスも常識として知っているような柔軟な頭脳を持つ若い人だけの話のようで、新聞にコメントが載るような肩書をお持ちの方々の固い頭には八角形墳が浮かぶことさえないようです<(_ _)>
 
この記事でも、相変わらず牽牛子塚古墳は斉明天皇の墓とされていましたが、斉明天皇は架空の天皇ですし、斉明天皇の弟だったという孝徳天皇も架空の天皇です。直系の男子ではない皇后や、皇后の弟が天皇になれたはずがないではありませんか(^o^)
 
架空の孝徳天皇の皇后だったことになっている斉明天皇の娘の間人皇女も、もし実在の人だったとしても皇后だった人が夫の墓ならともかく母親の墓に合葬されたはずはありませんし、
 
ましてや大王(天皇)だった人に墓が造られずに息子の墓に合葬されることなどあり得ないと思うのですが、敏達天皇の皇后で夫の死後36年間も天皇になっていたという推古天皇は息子の竹田皇子の墓に合葬されたことになっているのですよね。でも、学者さんたちはこんなあり得ない作り話にも全く疑問を持つことはないようです。「非論理的な信念の慣性力」って本当に強いんですね~<(_ _)>
 

先日まで西日本が梅雨に入らないためダムの底が見えているとか、田に水を引くことができなくて田植えができないといったニュースを聞いていたのに、一転して現在は南九州や四国が大雨に見舞われています(T_T)
 
一昨年は北九州、去年は岡山で大洪水を引き起こした「線状降水帯」が、今年は南九州で発生していて、そのうえに後から後から積乱雲が湧いてきて激しい雨が降り続くという「バックビルディング型線状降水帯」という言葉を今年初めて聞いたのですが、去年小田川の逆流で初めて聞いた「バックウォーター現象」による洪水も発生しているようです。
 
これまでになかった大災害を引き起こす現象に付けられた「ゲリラ豪雨」「スーパー台風」「線状降水帯」「バックウォーター現象」などの耳新しい言葉は、翌年からは毎年起きる現象を表す普通の言葉になってしまうようです(T_T)(T_T)(T_T)


 
 

 

 

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