Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

円墳?方墳?八角形墳?

$
0
0
2019.6.25 円墳?方墳?八角形墳?
 
天智天皇陵も天武天皇陵も八角形墳なのですから、用明天皇陵(都塚古墳)以降の大王(天皇)と王族の墓は全て大王墓の倣った八角形墳になっていたはずです。
 
石室しか残っていないために下方上円墳だとされてしまっている馬子(アメノタリシヒコ)の石舞台古墳も、墳丘が残っていないために墳形は不明とされている甘樫丘の双墓(ならびのはか)の蝦夷の大陵である小山田古墳、入鹿の小陵である菖蒲池古墳もみな八角形墳だったのだろうと思います。

石舞台古墳
イメージ 1

イメージ 2

菖蒲池古墳
イメージ 3
 
そして、それらの石室にあった石棺が精巧に造られ朱や漆を塗られた最高級の物であったのは、それらの石棺が当時の最高権力者であった大王のために作られたものだったからなのです。大王(天皇)より大きな墓に最高級の棺で葬られる人などいたはずがないではありませんか。
 
如何に専横であろうとも、臣下がそういうことは絶対にできないのが「身分制度」というものであって、もし、学者さんたちが言うように蘇我氏がそれをやったのであれば、それは蘇我氏が本当は大王だったか、大王を殺して自分が王になっていたかのどちらかの場合しかないはずです。
 
また、「不比等に謀殺された大津皇子とその後を追った妃の山辺皇女」の二人が葬られた牽牛子塚古墳も、草壁皇子の墓である束明神古墳も、文武天皇の墓である中尾山古墳も八角形墳であることが分かっています。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

中尾山古墳
イメージ 7

イメージ 8

学者さんたちは牽牛子塚古墳を斉明天皇(皇極天皇)の墓だとしているようですが、斉明天皇は『記紀』が隠した「馬子-蝦夷-入鹿の三代の大王」が在位した571649年を埋めるために作られた架空の天皇ですから、大王墓が造られたはずはありません。この間の敏達・崇峻・推古・舒明・皇極・孝徳・斉明はみな架空の天皇なのです。
 
実は、古代史の疑問について知りたいと思って本を読んでみたら、あまりにも非論理的で納得できないものばかりだったので、訳の分からないものを読んでいるより自分で実際に見て自分で考える方がマシと思い、2010年に奈良に出かけたのですが、その時は橿原考古学研究所はパスしました。
 
2015年に初めて行ってみたら「飛鳥から藤原京へ」と題する講演のレジュメが置いてあったので一部いただいてきたのですが、やはり架空の天皇の宮は一つも見つかっていないようです(^o^)。作り話なのですから宮も大王墓もあるはずがなく、探してもムダで、あったらおかしいのですよね(^_-)
 
橿原考古学研究所は甘樫丘の小山田古墳を「舒明天皇の初葬墓」だとしているようですが、舒明天皇は架空の天皇です

 



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles