韓国ドラマ“善徳女王(?~647)”のラストでは、隣に立った金庾信(595~673)に“二人で逃げ出そうか”の言葉を残して“トンマナ”は絶命するのでした。そしてアルチョンが善徳女王の墓守をしていましたね。慶州にあるこの墳墓は日本の八角形墳に似ている気がしました。牽牛子塚古墳の八角形墳が判明した現地説明会で、正八角形の内角の135度の外周石列が示されていたのを覚えています。
2019/6/20(木) 午後 8:38 [ kojita ]
韓国歴史ドラマにはよくお墓のシーンが出てきますよね。私も古墳との関係でいつもお墓の形が気になっていました(^o^)。今朝も「ホジュン」にお墓が出てきましたが、ドラマに出て来るあちらのお墓は円墳のようです。
円墳と言えば、日本の4~6世紀の王族の墓は崇神天皇や応神天皇の墓に倣った前方後円墳だったはずなのですが、6世紀後半に築造された真弓鑵子塚古墳や藤ノ木古墳、694年〜710年に築造されたという高松塚古墳は円墳なのですよね。
八角形か円かは土や木に覆われてしまうと見ただけでは分かりませんからこれらの円墳も本当は八角形墳で、学者さんたちの思い込みによって円墳とされてきたのかもしれませんが。
高松塚古墳
藤ノ木古墳
高松塚古墳は韓国の宋山里(ソンサンリ)古墳群にある武寧王陵によく似ているのですが、武寧王陵は円墳なのです。この古墳からは金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000点近い遺物が出土したそうですが、百済製の土器は1点もなく、すべてが中国の南朝からの舶来品だったそうで、武寧王の墓は宋の墓に倣って丸く造られたようです。
571年に亡くなった欽明天皇の墓は巨大な前方後円墳でしたから、6世紀後半でも末近くまでは日本の王族の墓は前方後円墳で、八角形墳になったのはそれ以降のことのようです。真弓鑵子塚古墳・藤ノ木古墳・高松塚古墳は八角形墳ではなく円墳で、被葬者が百済の王族だったから、日本の大王の墓の形ではなく百済の王(武寧王)の墓に倣ったということなのかもしれません。キトラ古墳も円墳とされていますね。
キトラ古墳
これらの古墳は、応神天皇が百済から招聘したり、503年に25代百済王となった応神天皇の長子の武寧王がウジノワキノイラツコの教師として日本に送り出したりした百済の王族の墓なのではないでしょうか。