天孫が天から降臨したというのも、神武天皇が紀元前660年に橿原で即位したというのも『古事記』の作り話です。もっとも地上の高天原を天にあったことにしたのは本居宣長だったようですが。
でも、今連載中の『ワカタケル』は、そのような作り話をそのままなぞって「この国の成り立ち」だとしているのですよね<(_ _)>。「14代天皇はタラシナカツヒコ(仲哀天皇)で、その皇后だったオキナガタラシヒメ(神功皇后)の三韓征伐に同行したタケノウチノスクネは「12代景行天皇から16代仁徳天皇までの5代の天皇に仕えた」というような荒唐無稽な『記紀』の作り話にさらに上乗せするように、このタケノウチノスクネはワカタケル(21代雄略天皇)の時代にも時々現れて歴史を語ったり助言をしたりしているのです。
稗田阿礼はワカタケルの大后のワカクサカの分身で、霊力があって先のことが分かったり何度も生まれ変わったりしているのも、ワカタケルに青い色をした残虐な分身がいて人を殺させたりしているのも、「歴史ファンタジー」であれば「面白いね」ですむのかもしれませんが、歴史学者さんたちも小説家も、事実と『記紀』作り話の区別が全くついていないようで、「記紀」の作り話を「日本の歴史」だ信じてしてしまっているのですよね<(_ _)>。
池澤氏は、『ワカタケル』で16代天皇はオホサザキ(仁徳天皇)だとしていますが、1926年(大正15年)までは15代天皇は200~270年に在位した神功皇后で、16代は応神天皇、仁徳天皇は17代とされていたのですから、それまではタケノウチノスクネは12代景行天皇から17代仁徳天皇までの6代の天皇に仕えたということになっていたのでしょうね。これは景行天皇が即位した71年から仁徳天皇がなくなった399年までの328年間ということになるのですが、ニンゲンが328年以上も生きていたということに何の疑問も感じないのでしょうか(^o^)?
大正15年に15代神功皇后が削除されて、タケノウチノスクネが三韓征伐についていったはずの15代神功皇后がいなくなってしまったため、現在は14代仲哀・15代応神・16代仁徳とされていますから、タケノウチノスクネ6代ではなく5代の天皇に仕えたということになっているようで、雄略天皇も22代から21代に繰り上げられていますが、神功皇后が削除されて天皇が1代減っても、タケノウチノスクネが328年以上生きていたというオハナシは変わっていないのですよね。
宮内庁が公開している「天皇系図」を見ると、14代仲哀天皇が200年に亡くなった後、270年に15代応神天皇が即位するまでの70年間は神功皇后の名前が消えただけで期間はそのままになっていますから、宮内庁はこの70年間は日本には天皇はいなかったことにしたということでしょうか(^_-)。
架空の神功皇后の夫の仲哀天皇も架空の人物なのですが、もし実在したとしても、200年に亡くなった天皇の息子が70年も経ってから即位したなどということはあり得ませんよね(^o^)。応神天皇は架空の仲哀天皇と神功皇后の息子ではありませんし、200年頃に生まれて70才になってからやっと即位し、310年まで100年以上も生きていた人でもなく、5世紀に築造された誉田山御廟古墳の被葬者でもありませんし、架空の仁徳天皇の父でもないのです。
こんなに矛盾だらけで非論理的で、疑問を持った人がちょっと調べればすぐに分かってしまうような作り話(ウソ)なのに、宮内庁や文化庁は大山古墳を「仁徳天皇陵」として世界遺産に登録申請するようです。本当にそれでいいのでしょうか<(_ _)>。