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歴史学者さんたちの古代史解釈

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2019.4.19 歴史学者さんたちの古代史解釈
 
机上で文献のつじつまを合わせる「説」を作っている歴史学者さんたちは、現場検証などはしないようですが、地図も見ないのでしょうか?
 
『常陸国風土記』に「往来の道路(みち)に江海(うみ)のわたりを隔てず・・・・・直道(ひたみち)であることからこれを国の名とした」と記されているのを、岩波の『日本古典文学大系』では、この「江海のわたりを隔てず」を「交通に船を要しないの意」とし、「直道(ひたみち)」を「直路または一路、陸路だけでゆきき出来る意」と解釈しているのですが、後の学者さんたちはこれを「定説」としてそのまま受け売りしてきたようです。
 
けれど、7世紀に都のあった奈良から常陸国府のあった石岡までにはいくつもの大きな川があって、舟を使わずに行き来することなどできないことは地理音痴の私でも分かりますから、これを読んで私は「そんなバカな」と思ったのですが、学者さんたちは何の疑いも持たず、確認もせずに受け売りしているようです。もちろん今は全ての川に橋や鉄橋が架けられていますから現在であれば舟など使わずに往来できるわけですが。
 
「直道」だったのであれば、「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いたように、道中、徒歩で山を越したり船越(ふなこし)をしたりすることなく、人も荷物も船に乗ったまま都から直接常陸国府までやってくることができたという意味であろうと私は思うのですが、「常に陸」という文字に惑わされたのでしょうか?
 
また、学者さんたちは歌垣を「若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗」だとしていますが、これも全く違うと私は思います。
 
筑波の歌垣で虫麻呂が詠んだ「人妻に 吾も交らむ(吾毛交牟) わが妻に 他(ひと)も言(こと)問へ」の歌の「吾毛交牟」を「吾も交はらむ」と読み下してフリーセックスのことだと解釈したようですが、
 
イメージ 1

 
それを後の学者さんたちは何の疑問も持たずに未だに「定説」として受け売りしているようです。
 
そしてその「歌垣は若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗」であるという解釈が教科書に載せられて白紙の子供たちの脳に刷り込まれ、学者さんたちの歴史解釈本として大量に出版されて、肩書信奉者の一般人の常識になっているということのようです<(_ _)>
 
中学校の教科書にあったこの「歌垣」の解釈をずっと疑問に思っていた私は、本庶先生の「教科書に書いてあることを信じるな。常に疑いを持って本当はどうなんだろう?と自分の眼で見て納得できるまで自分の頭で考えることが大事だ」という言葉に深く深く頷いてしまいました(^o^)
 
本庶先生がこのお話をされた2018年にはもう、少なくとも古代史の部分に記されている解釈は、噓八百の『記紀』や「文献」の作り話のつじつまを合わせるために作られた事実からは程遠い恣意的な「説」だということが分かっていましたから(^_-)
 
 
 

 

 

 

 

 


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