Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

ブラタモリ・甲府盆地

$
0
0
2019.4.16 ブラタモリ・甲府盆地
 
プレートと言えば、先日の「ブラタモリ」では甲府盆地がどうやってできたかがプレートの動きで説明されていましたね。甲府盆地は北米プレート・フィリピンプレート・ユーラシアプレートの3つのプレートがぶつかり合う場所なのだそうです。
 
2000万年前には大陸の一部だった日本が1900万年前に大陸から剥がれ始めた時にできた割れ目が甲府盆地の元になっているということで、1500万年前にフィリピンプレートが沈み込み始めると、引きずられて深さ2000mもの谷になり、その深い谷が八ヶ岳の山体崩壊による韮崎泥流で埋められて平らな甲府盆地ができたというような説明だったのですが、プレート理論と地形の変化はもうすっかり「一般常識」になったようですね(^o^)。「古代の地形と今の地形は違う」ということをまだ「デタラメもデタラメ」と思っている方もいるようですが。
 
 
でも、この番組の説明には納得できない点がいくつもありました。泥流で埋められたのなら、なぜ甲府盆地の地質学的成因には地底湖説があって水持ちの悪い砂礫地だったのかとか、なぜ『甲斐国志』『甲州噺』など近世に成立した地誌類には甲府盆地がかつて湖底であったという湖伝説が記されているのかとか、信玄が治水工事をする500年前まで水持ちが悪く雨が降れば洪水を繰り返す石ころと砂礫ばかりの不毛の地だったのであれば、なぜそんな不毛な地に旧石器時代から人が住んでいたのかとか、なぜ1000年以上も前の古墳がたくさんあるのかとか、周辺に「塩山・塩崎・韮崎・塩の山・差出の磯・塩津・塩前・塩部・一宮塩田・大塩・上塩後・下塩後・塩沢渓谷」など海や塩に因むような地名が多いのはなぜなのかとか・・・・・
 
甲斐風土記の丘(曽根丘陵)の古墳群
イメージ 1

 
イメージ 2

イメージ 3

丸山塚古墳
イメージ 4

銚子塚古墳
イメージ 5
 
私は甲府盆地の成り立ちを知っているわけではありませんから、いつかまた甲府盆地に行くことがあったら資料館などで確認してみたいと思いますが、もし行けなくても、なぜ?と考え続けていれば、何か分かってくることがあるかもしれませんから、納得できないまま鵜呑みにすることはせずに納得できるように自分で考えてみたいと思います(^o^)
 
情報が学者さんなど一部の人たちだけのものだった頃は、私が得られる知識は教科書で教えられたものか、学者さんが書いた非論理的なつじつま合わせの「説」しかなかったのですが、今は素人にも情報の差はなくなっていますから、それらの情報を総合的・論理的に考えるのか、『古事記伝』のような非論理的な固定観念で部分的につじつまを合わせるのかの違いだけになってきているのではないでしょうか(^o^)
 
以前『学者は平気でウソをつく』というタイトルの新刊案内を見て、既存の学者の言を鵜呑みにはせず、生の情報を自分で判断する人が増えてきているのかもしれないと思ったのですが、
 
本庶先生の「教科書を疑え」という言葉に大きな反響があったことを見ても教科書に記されていることを鵜呑みにせず、疑問を持って自分で考えようとしている人たちが増えてきているのではないかと思います\(^o^)/。
 
 
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles